2017年10月28日土曜日

北アルプス・大キレット越え 還暦を前にして

9月24日~26日、今年の「夏山登山」をようやく敢行した。今回の狙いは槍岳~北穂高岳の「大キレット越え」だ。多くの人が憧れるであろう、大キレットは、テレビでも何回も取り上げられ、まあ山を少し歩いた経験のある人なら行けそうなところだけど、毎年滑落事故が何件か起きているのも確かだ。
 それなりの体力も必要だ。日数をかけて槍に1泊、北穂に1泊とできれば余裕もあろうが、2泊3日しか日程がないなかで、どうルートをとるか。結構悩んだ。
当初の予定は、東京をたつ日は涸沢に1泊し、翌日北穂にあがり、大キレットを超えて南岳小屋に入り、翌日下山というルートだった。
 19歳の息子に誘われ、後押しされて行った。

 9月24日、低気圧の去った東京を朝4時半すぎに出発、途中どういう訳か甲府盆地の手前で雨に降られるも順調に松本まで中央高速を行き、沢渡の駐車場に8時前後には到着した。時間の節約のためタクシー(定額で4,100円)で上高地へ。登山届を出し準備を整えて8時半に出発。
25年ぶりに訪れた涸沢カール 息子と
息子と逆算して涸沢を午後1時に出られればこの日のうちに北穂高岳まで上がろうと決めていた。横尾まで約11㎞の道のり。河童橋で恒例の記念撮影をして歩き始める。かなりのスピードだ。息子についていくのがやっとだ。この日のためにランニングを続け、この半年は田園調布の急坂でのトレーニングを続けてきた。すべてはこの日のためだったと心にかみしめて歩いた。 
 徳澤で小休止を入れて横尾についたのが10時半。実質2時間。地図のコースタイムでは3時間10分のところを、ほぼ3分の2の時間で行く。諏訪湖パーキングで買った大き目のパンはすぐになくなった。あとは準備してきたカロリーメイトやジェルの行動食でエネルギーを補給して10時50分に横尾を出発、涸沢を目指す。
 3年前に槍に行ったのがおよそ30年ぶり。涸沢へも25年近く行っていない。久しぶり涸沢にちょっと胸がわくわくする。少し歩くと屏風岩が見えてきた。やはりずごい絶景だ。天気も絶好。だけど先を急ぐため、あまり景色を楽しむことなく先を急ぐ。
 細い登山路を、年配のグループ登山者に「すみません」と何度も断りながら抜いていく。われわれが抜かれたはトレイルラン風の若い男性1人だった。小屋泊まりを前提に荷物は最低限にして身軽に行ったけれど、それでも私にとっては登山は1年ぶり、5月の鳥海山・山スキーからでも4か月ぶりの登山なので、やはり少しはきつい。それでも順調に行って午後0時50分すぎ、約2時間余りで涸沢小屋まで行きついた。
東京から一気に登ってきた北穂高岳山頂。翌朝

 涸沢小屋のテラスでカレー(ものすごくおいしかった)を食べてちょっとくつろぐ。目標の1時出発は無理だけど1時半には出発できそうだ。北穂高岳を目指すことは息子との間で決定された。午後1時半、涸沢小屋を出発。この日のうちに北穂まで上がれば明日は余裕を持って大キレットを越えられるし、槍までいける。
 しかし朝四時前に起きて交代で車を運転して上高地から涸沢まで一気に上がってきたので、さすがに身体はちょっと疲れている。足も張ってきた。カレーを食べてくつろぎすぎたせいか、涸沢小屋からのいきなりの急登はへばり気味だった。身体の筋肉が登山モード入るまでは時間がかかった。地図のコースタイムで行ければ午後4時半にはつける。幸い天気もいい。次第に息子に遅れながらも、なんとかついていく。少し離れると待っててくれる。必死に歩くと地図を見るのも面倒になる。すべて息子にまかせる。こちらの都合で小休止を提案できるし、遠慮がいらない分、登山パートナーとしては最高だよね。
 途中長いクサリ場があるが、登りはその脇をクサリを使わず登れる。あとは急ではあるがほとんど危ないところはない。最後の急登を登りきるり、デコボコ稜線を少しいけばひょっこり北穂高岳の山頂に出た。午後4時前だった。2時間半足らずで到達できた。
 
 山頂手前で滝谷を登ってきたという3人組に出会った。ものすごい量の登攀用具を身につけていて、見るからに「オオッ・・・!」という感じだった。
 北穂高岳小屋には涸沢からの途中で電話した。涸沢カールからは電話は通じなかったが半分ほど登ると電波が入った。北アルプスは便利になったもんだ。
 
 一度は泊まりたかった北穂高岳小屋。山頂直下の狭隘な場所に建つだけに決して広くはないが、きちんと手入れがされていて、気持ちいいい小屋だった。混雑はしていたがそれでも1人1畳は確保されており寝床も快適。枕も不織布のカバーがあり清潔。宿泊者は水や湯がタダだ。本当にいい山小屋だ。
 
 日の沈みかけるころ、小屋の北側から槍を見る。多くの人が熱心に写真を撮っていた。
素直に美しい光景だった。こういう景色を見ることができるのが、登山の喜びでもあることを改めて感じた。かなりの年配の方が思わず「ああ~生きててよかった」と言った。周囲の人が私を含めてみな笑った。それほど和んだ雰囲気だった。
 その方の夕食が同じテーブルの島だった。失礼ですけどと言って年齢を伺ったら74歳とおっしゃっていた。40代と思われる息子さんと来ていた。こちらも19と59の40歳トシの離れた親子だと、同じテーブルの人に言ったけど、そのことによって自分は何を訴えたのか、あとで考えてしまった。
 夕飯を食べるとすぐ眠くなりまもなく眠りにつく。余裕の息子は消灯の9時まで外で星空を眺めていた。
北穂からの下り。手がかりは多くそう難しくない。
翌25日(月)。絶好の天気だ。この時期夜明けの時間が5時半ごろなので朝食をとってから、日の出を見られる。
 最近、各地で「天空の宿」とか「天空のカフェ」とか流行っているらしいけど、本当の「天空の〇〇」は3,000mを越えたここ北穂高岳山荘や槍や奥穂などだろう。

大キレットは一般的なガイドは槍~南下して南岳~大キレット~北穂高岳~涸沢岳~奥穂高岳のコースで書かれている(と思う)また、テレビの“山岳番組”でもこのコースで紹介してる(ように思う)。しかし実際歩いてて、結論から言うと、北上するコースの方が、気分的には歩きやすいように思う。ヤマケイのガイドでは、槍を目指す北上コースだと、下りの方が多くやや歩きにくいと書いてあったけど、少なくとも北穂~槍で言えば、ほとんど標高は変わらないのでどのみちアップダウンはある。
長谷川ピークを見上げて、ちょっと震える(笑)

 北上の方がいいという第一の理由は、北穂からだと、まず急な下りがあるが、その後は、わりとすぐに核心部の飛騨泣きや長谷川ピークを迎えることだ。大キレットのハイライトを疲労がたまる前に通過するのは精神的にラク(特に私のような老人には)だし、景色も天気がよければ、次第に迫ってくる槍の姿を常に見ながらなので心躍るものがある。
 また、なにより長谷川ピークのナイフリッジを登りで行けることだ。下りは梯子が続くが、慣れればそう怖くない。(最低限、片手で自分の身体を支えるくらいの筋力は備えておくことが、安全のためには必要だと私は考えるけどね。そのために筋トレも行っているし・・、一応)
 どこが一番怖かったかと言われても、今はなかなか思い出せない。結構「必死」だったということだろう。あそこを緊張感なしで行く人はまずいないだろう。だからこそほとんどの人、それも老若男女が無事通過しているのだから。(事故はしばしば緊張の糸が切れたところで起こる)

おそらく長谷川ピークを過ぎた下りだ。
ともかくも、大キレット越えは写真を参考に。もっともヤマケイやガイド本の写真の方が分かりやすいけど。
 北穂高岳小屋から大キレットを越え南岳山荘までは2時間弱の道のりだっだ。渋滞もなかったこともあり、コースタイムよりいくぶん短時間で通過した。南岳山荘まで来ると一息、あとはそう難しいところもないし、槍まで歩くだけだ。もちろん途中梯子はあるけど、ほとんどが登りだったのでそう怖くない。地図のコースタイムで2時間45分。2時間ちょっとで槍ケ岳山荘に到着。ここでもカレーとうどんを食べる。
 かくして19歳の息子に引っ張ってもらって、なんとか59歳にして大キレットを越えた。それも「弾丸登山」で。

 シュリンゲで簡易のハーネスを作り一応身につけていたけど、結局使わなかった。いちいち着けていては、かえって危ない。飛騨泣きのクサリなんかものすごく太くてカラビナを通すこともできないくらいだった。

 槍ケ岳山荘でしばし休んだあと、空身で槍の山頂へ。3年ぶりだけど今回は晴天。30年近く前、妻と槍を目指した時、彼女の高山病の症状と雨模様の天気で頂上に行かずに下山しした時のことを思い出す。(この時は横尾から涸沢~奥穂にはいったけど)

 この日の宿をどこにとるか。槍ケ岳山荘はもういいかなと息子も私も思っていた。メシは悪くないけど布団は結構古くて重い。それほど心地よい部屋ではない。(以前にも書いたけど、剱の剱御前小屋と剱山荘は至近にあるためか競争原理が働き、ふとんはミズノのプレサーモ、畳も高機能のものだった。)

 それで、持っていたスマホ(妻のお古)で殺生ヒュッテとヒュッテ大槍を比較。で、後者に泊まることに。東鎌尾根を小一時間あるいて3時ごろには小屋につく。
 ヒュッテ大槍は非常に心地よい小屋だった。支配人の方も非常に感じのいい人だった。生ビールを飲む。うまい。
 翌日は6時半前に出発、東鎌尾根を水俣乗越の分岐まで行き、そこから槍沢に下り、上高地を目指す。帰りは、「お約束」の徳澤園でソフトクリームを食べ、明神から橋を渡って嘉門次小屋でイワナと蕎麦を食した。ここまで来ると、軽装の観光客も大勢いて、シャバに戻った感じだ。
 帰りもタクシーで沢渡まで行く。(定額の4100円)。沢渡で温泉に入り、そこの休憩所でちょっと昼寝してから東京へ。
 かくして2泊3日で、北穂~大キレット~槍の「弾丸登山」を無事終了した。
ああ、いつまでこうした山登りを続けられるのだろうか。人生もだいぶ残りすくなくなってきたけど。
(写真はまだ随時 足します)
このブログを見た人は、また覗いてみてください。

 
 





滝谷かな?

 
 

2017年10月21日土曜日

福井県池田町の中学生の自殺「事件」。丸山真男の「抑圧の移譲」を思い出した。僻地校での抑圧とは

 福井県池田町の町立池田中学校の2年生だった当時14歳の男子生徒が今年3月、校舎から飛び降りて自殺した問題。町の教育委員会が設置した第三者委員会は担任や副担任から繰り返し厳しい指導を受け、追いつめられて自殺したとする調査報告書を先日(10月15日)公表した。
 自殺した中学生に心から冥福を祈りたい。すでに成人したが、同様に子どもを持つ身として親御さんの無念さ、悔しさ、そして「見殺し」にした、周囲の教師や教育委員会への怨念は察して余りある。
 「死」の代償は、きちんと支払わなければならない。担任、副担任の直接の加害者だけでなく、それを許した面々の責任は、それこそ「命」よりも重い。当然の話だ。Net上には、すでに担任、副担任、校長の名前や顔写真が載っている。それはそれで今回の事態に怒りを感じる人々の溜飲を下げることにはなるが、そうした「私刑」だけでは、問題の本質には迫れないだろう。この「事件」には構造的な問題があるからだ。教師集団というヒエラルヒーの構造的問題だ。
 
 池田町のホームページによると人口は3000人に満たない。町の中学校はひとつだけだ。問題の中学校が福井県の中で「僻地指定校」なのかどうかは分からない。しかし全校生徒40人足らずしかいないとなると、片田舎の小規模校であることには変わりない。校長はそれなりの年齢だ。他校に転勤したという男性担任は30代だという(朝日新聞)。中堅になる年齢だろう。校長はまだしも担任はなかなか同じ福井県の都市部の学校にはいけなかったのだろう。同期の教師の中には県内の“進学校”で、バリバリやっている者もいる。焦りや腐りがあっても不思議ではない。そのストレスのはけ口が自殺した生徒に向けられた。もしくは、この担任は自分がいかに都会の学校に転勤できるかどうかにしか関心がなく、副担任の異常な行動に対して無関心だった。そういうことなんじゃないでしょうか。

 (ここからはまったくの想像だけど)地方公務員として一定程度の給与の安定がある中で、教師としてのいい意味での情熱が失せていたのかもしれない。俗に言う「事なかれ主義」になるか、あるいは教師とは関係ない趣味に時間もアタマもとられていたかもしれない。悪い方から言うと、ギャンブルや女性、お酒に走るもの。趣味に夢中になるものなどさまざまだ。
 
 そして女性に新任教諭の副担任。首都圏の4流大学を出て、それでも努力して地元福井県の教師の試験に「合格」した。彼女にある種の幼稚な万能感が目覚めたとしても不思議はない。悪いけどあまりモテそうには見えない彼女は、大学では地味な存在だったのだろう、それを見返したのが県の教員採用試験に受かったことだ。そして赴任した学校。男子に対してある種の「恨み」があったのかもしれない。それが「抑圧の移譲」として表れた。中学生を相手に「幼稚」な行動に出てしまった。それを自分自身でも止められなかった。
 
 校長はどうか。教師の管理職試験に“合格”し、副校長を経てようやく校長になった。この教師は校長になったことがある種の目的の達成になっていたのかもしれない。校長にも序列がある。僻地校の校長はどうみても低い方だ。定年も間近でもう意欲もなく、教師の振る舞いにまで関心はない。若い教師にいろいろ反論されると、それを跳ね返すエネルギーも持ち合わせていなかった。あわれだね。
 
 かつて愚息が通っていた公立の小学校で、毎年1度の授業参観には必ず参加した。それも自分の子の担任だけでなく、出来る限りさまざまな教師の授業を観察した。
その中で6年生の担任をしていた年配(60間近かな)の男性教師の授業を見た。なんの授業なのか忘れてしまったが、ほとんどを黒板に向かって、いわゆる板書する授業だった。時々子どもの方を振り返るがそれは、お約束の行動という以外いいようのないものだった。しかも授業内容は稚拙、いちいち教科書に目を落としてそれをなぞるというものだった。どうみても準備不足としかいいようのない授業内容だった。
 普通の感覚だと、授業参観で保護者が見に来ると思えば、それなりの準備をして臨むだろう。普段ならしなくても。その授業参観でさえレベルの非常に低い授業しかしていないということは、この教師はもうやる気を失せていることが明らかだった。ベテランはヘンに自信もある。何千回、何万回としてきた授業は適当に行って乗り切れると思っているフシがある。それは保護者の目からみて明らかだっだ。授業参観の「感想」にこのことを書いた。この教師は翌年違う学校それも違う区の学校に転勤していった。

 やる気のない教師、ダメな教師の被害を被るのは、常に子どもたちだ。都会の学校ならばそれでも子どもたちは塾に退避することもできる。しかし僻地ではそうした退避場所すらない。都道府県教委(教師は県職員)⇒市町村教委⇒学校(進学校~僻地校までいろいろ)というヒエラルヒーの中で、僻地校にいる校長も含めた教師たちの心情、やる気、能力は想像に難くない。
 もちろん僻地校だからこそと、情熱を持って頑張る教師がいることも認める。でもそういう「いい教師」は少数派だ。(だからこそ時々そうした教師はメディアの企画記事、リポートの対象になる)

 質の低い教師の淘汰の先は僻地校だった。この構造の中で起きた、大事件だった。
ついでに言うと、教育委員会は僻地校のことなんてまるっきし関心がない。中学校担当の彼らの関心は、どこの中学から県の進学校に合格できたかということだ。私立の有力校が多い大都市の都道府県は別として、フツーの県ではどこでも1,2の進学高に県内の優秀な生徒を集中させて、一流大学への進学実績をあげようと必死になっている。それは将来県職員、または中央省庁の役人になり県のために役立って
ほしいという思惑があるからだ。先細りの人口の中で、その傾向はますます強くなっているだろう。僻地校の教師の質の問題なんか、2の次、3の次にならざるを得ない。それが現実だ。優秀な教師は進学校に集中する。次は生徒の全体レベルを上げるため大規模に配置される。それはある意味で自然な流れだ。それからこぼれた教師たちが僻地校で“頑張って”いる。中にはヘンな頑張りをする教師がいても不思議ではない。

 「抑圧の移譲」からずいぶんそれてしまったけど、書いているうちに、今回の中学生の自殺の問題は、実は僻地校問題ではないかという思いに至った。
(タイトルをちょっと変えました)  
 
「超国家主義の論理と心理」

2017年10月16日月曜日

那須雪崩事故、高校生8人死亡。「事故の責任」を「再発防止」にすりかえるな。最終報告から

右・猪瀬修一教諭(NETより「引用」)
今年3月、那須連山の茶臼岳で、急斜面をラッセル訓練させられていた高校生らが雪崩に巻き込まれて8人が死亡した事故。検証委員会は本日(10月16日)、最終報告を出した。事故の最大の要因は組織の「危機管理意識の欠如」だとしたうえで、「引率した教員は斜面を登るにしたがって雪崩が起きる危険性を認識できたはずだ」と指摘した。
 当然すぎるくらいの報告だ。しかし検証委員会の人間は、会見で「再発防止につなげたい」と締めくくっていた。
 事故の責任を「再発防止」にすりかえてはいけない。改めて言う。まず業務上過失致死で、ふもとの旅館でぬくぬくと温まっていた栃木県の高校体育連盟の教諭を逮捕すべきだ。バスを運転していて重大な過失で乗客が8人死亡したら、まず逮捕されるだろう。なぜ危険な訓練を行って高校生を死なせた教師が逮捕されない。どうみても法の下の平等とはいえない。登山、それも雪山の山行が、登山をしない者には分からないという事情もあるだろうが、それは勉強不足、認識不足と言わざるを得ない。
 子どもたちの命を預かっているという意識の低い教師たちは、正しく罰せられるべきだ。ニュース報道だと、検証委員会の最終報告を受けて、「警察は、こうした報告も踏まえ、引率した教員の安全管理に問題がなかったか、業務上過失致死傷の疑いで早ければ年内での立件を目指すことにしている」と、言うが、書類送検、在宅起訴などと生ぬるいことは許されない。きちん今後の成り行きを見ていきた。

 誤解のないよう言うが、高校生が冬山に登ることを禁止したり、高校が制限したりすることは絶対反対だ。往々にしてこういう事故が起きると行動を制限する方向に物事が動く。しかし、それは絶対違う。
 危険の可能性があるからこそ、そのリスクをきちっと認識して適切に行動することが求められているのだ。そのために責任ある者は、正しく罰せられることが必要なのだ。処分を曖昧な形で決着させ、高校生登山の冬山を禁止する(すでに禁止されているとも言われている)ようなバカな対応だけは許されない。

 追記:言うまでもなく、高校生の登山活動は、小学生の運動会のピラミッドとはまったく違う性質のものだ。事故があいついだピラミッドは、子どもたちが危険を自ら回避できない状態だ。混同してはいけない。
 ピラミッドに関して言うと、一部のバカな教師が「皆で協力する心が生まれる」「一体感ができる」など安直な考えを持っている結果だ。もっと言うとああいうことをやらせると、子どもたちをコントロールしやすいのだろう。容易に想像がつく。

2017年9月16日土曜日

目からウロコのクラシック音楽。『西洋音楽史』(中公新書)の読書感想文

 いわゆるクラシック音楽は、どうしてコンサートに行ってかしこまって聞かなくてはいけないんだろう。どうして昔のモノばかり演奏するんだろう。どうしてクラシックの現代音楽って耳障りな不協和音ばかりなんだろう。クラシックとポピュラー音楽の本当の違いって何だろう。
 バイオリンを習わされていた小学校低学年のころから、実は疑問に思っていた。もう少し成長してから、メサイアや第9を聴きに行くようになってからも、それ自体は「いい音楽」=耳に心地よい音楽だと思っても、そうした疑問を払しょくできなかった。また、あえて疑問に対して深く探究しようと思わなかったとい面もる。

 しかし、この『西洋音楽史・「クラシック」の黄昏』を読んで、そうした疑問が一挙に解消されたし、それどころかクラシック音楽を、ある意味でより深く聞いてみようという気になった。すごい「良書」だ。これで900円しないんだから、非常にお得ですよ。
 
 これまで気に入った読書のあとは、読みっぱなしにせず、自分なりにノートにまとめてきた。(そんなにに冊数は多くないけど)。この本は、そうしたい衝動にかられたし、ノートというか、自分なりの年表にしてみたと思った。
 聞いている音楽がどの時代の、どういう背景で作られた音楽が知ることは、同じ音楽と聞くのでもずいぶん違う。荘厳すぎるシンフォニー、高度なテクニックが際だつピアノ曲等々。背景を知ると、単純に興味が深まる。
 まあこれは小説の「作品論」より「作家論」に近くなるという点はあり、純粋に作品論的に楽しめなくなるという面がなくはないが、クラシックのシロウトにはちょうどいいかもしれない。
 還暦を前になぜかクラシックを聴くようになったのか。2年前、風邪をきっかけに耳鳴りがするようになり、医者から「耳鳴りは一生治りませんから」と、あっさり告げられ、通勤途中に音楽を聴くようになった。
(耳鳴りは慣れると思ったより気にはならないが、それでもシーンとした部屋にいたりすと、「ああ、耳鳴りしてるんだな」と改めて思うことはしばしばだ。)

 デイブ・グルーシン、リー・リトナー、ジョージ・ベンソン等々とジャズ、ヒュージョン系を聴いていたけど、少々飽きてきたので、ここ半年はクラシックを聴いている。
 (ちなみにランニングする時はサザンやAKB48や荒井由美や中島みゆきを聴いているけど)
 けど、いったいクラシックはどこから聞いていいのかわからない。手始めは以前(と言っても20年以上前だ)購入した「ベストクラシック100」や図書館で借りた、「どこかで聞いたクラシック・ベルリンフィル」など、定番から入った。次に、各作曲家のベスト版を借りて聴く。そして次に、netにある、ご推薦の「ベスト交響曲30」などを上記から順番に聞いていく。
 てなことをやっていくと、当たり前だけどクラシックも、あまり聞いていて面白くないものも多々あることに気付く。まあ聴き方が通勤途上の読書のBGMだから、耳に心地よいものを無意識に選好しているせいでもあるけど。
 で、本の話からそれたけど、この「西洋音楽史」のいいところは、ある作曲家の生きた年代が西洋史の中でどういう時代だったか、この作曲家は、実は○○哲学者と仲良しだった、などエピソードが分かりやすいことにある。
 もちろん著者の文章のうまさ、構成の的確さなど書籍としての完成度も非常に高い。このまま高校の音楽の授業に使える、分かりやすさと深さがある書籍だ。

EV(電気自動車)革命は、原子力発電問題を避けてとおれない。なぜメディアはそのことを避けるのか

 

東電・柏崎刈羽原発
フランスやイギリス、また中国でも将来ガソリン車の販売を禁止し、電気自動車に移行させる案がここにきて急浮上している。
 排気ガスとして有害物質を出す、化石燃料を使った車から、それ自体はクリーンな電気自動車へシフトさせていこうという世界的潮流は次第に大きくなっている。それはそれでたいへん“良きこと”だ。
 新聞報道もこの自動車社会の将来の動きを先取りした報道になりつつある。しかし、こうした報道(の多くに)、触れてない部分がある。
 当たり前のことだが大量の電気を作りだすには膨大な電力供給が必要だ。そのためには、(現在のところ)原子力発電を抜きには実現できない。これは自明のことだろう。
慶応大学が開発した電気自動車(NETより「引用」)
ガソリン車から電気自動車になっても、その電気を化石燃料で作るのなら、かえって熱効率は悪い。石油を燃やして電気を作るのにも、それを送電するのも、いわゆるエネルギーロスが起きる。車に直接石油(ガソリン)を使った方がはるかに効率がいいのは自明のことだ。
 大量の電気を作りだすには太陽光や風量などだけでは、現在のところとても賄えないのが現実だ。原子力発電の有効利用があって初めてそれは実現するハナシだ。原子力発電は火力に比べて温暖化ガスの排出ははるかに少ない。その意味ではクリーンエネルギーと言っていい。エネルギーとしての有用性と、原発の危険性はきちんと分けて論じ中ればならない。
 東京電力・柏崎刈羽原発の一部に「適合」がなされたが、朝日新聞は社説などで、疑問を呈していた。その部分だけ見ればスジの通った「ご主張」かもしれないが、エネルギー政策全体を、この新聞はどう考えているのか、どうしていくべきなのかという主張はわからない。結局、反原発の人々の「意に沿う報道」でしかないと見えてしまう。それは、一部の知識人にも言えることだけど。
 何も、危険なままで原発をどんどん稼働させろ。福島第一で原発被害に遭われた方々のケアなんていらないと言っているのではない。要はリスクへの覚悟をどこに置くかという問題だ。原発リスクと温暖化リスクのバランスをどこでとるのかとう問題だろう。
 こうした最も根源的な問題に目を向けさせるのが大手メディアの役割なのではないか。そうしたことを避け、原発の部分の問題だけをことさら一番の問題のようにあつかうだけの報道には、トランプさんでなくても「Fake News!」と言いたくなる。

 欧州の電気自動車への移行計画のニュースで、象徴的なったのが、イギリスやフランスが「完全」を目指すのに対して、ドイツは「ディーゼル」は捨てないというような記事だった。これは、ドイツが原発ゼロを目指していることと無関係ではあるまい。反対にフランスなどは原発に積極的だ。

 電気自動車のニュースと原発問題は実は大きくつながっている問題だということ。まずそれを読者(や視聴者)に分かってもらってから、ディテールの報道に入るべきだよ。

トヨタの燃料電池車「mirai」
水素自動車に未来はあるか?
先日、中原街道(東京)を走っているのを見かけて、「オオ・・!」と思った。静かに増えていくんだろう。水素ステーションもすでに2件、知っている。


 

2017年9月9日土曜日

不倫は犯罪なのか? あまりに“大衆的”な山尾氏報道にはウンザリだ。

netより「引用」
『疑惑』とは何を意味するのだろうか。通常、それは犯罪(法を犯すこと)に対して疑いがある場合に、使う言葉なのではないか。少なくとも、、マス・メディアが使用するとすれば。とりわけ放送事業者においては、放送法で、公正中立など様々な規制(その規制は、必ずしもいいとは思わないけど)がある中では、使用に注意すべき言葉だろう。
  
 「不倫疑惑」とは何だ。人の道として決してほめられたことではないけど、それ自体は犯罪でも何でもないし、私生活(それはプライバシーのひとつだ)の上のこと。政治活動とは何のカンケイない。それがあたかも、加計学園の獣医学部新設問題や森友学園小学校建設問題と“同等”か、報道の過剰ぶりからはそれ以上の“重大事件”として扱われている。
 当たり前のことだが、彼女を擁護する気はサラサラないし、どうでもいい。けれど、一連の余りに大衆迎合的報道には、あきれる。

 8日(金)朝、スポーツクラブのテレビでやっていた民放では、Dボタンか何かを使って、①離党すべき、②離党の必要なし、③議員辞職すべき という選択肢のアンケートを行っていた。これには驚いた。テレビ製作者にとっては演出の一貫くらいの軽~いノリなんだろうけど、あまりに馬鹿げたことに、この社会の行く末を心配してしまった。当然というか議員辞職すべきという回答が6割前後(だったと思う)あった。若い女性のキャスター?は、いかにもこれが「世論」、民衆の合意であるかのように、伝えていた。ああこうして大衆世論は作られていくのかという現場を見た思いだ。

 大新聞やNHKなどの正統的(と思われている)報道でも、「疑惑」という言葉が使われていたし、“政治部記者解説”では、民主党への「影響」は「大きい」と強調していた。ここにも、おそらく無意識(前意識)に、大衆の求めることを言うという作用が働いている
のだろう。大衆に引っ張らね、流されていると言っていい。
 メディアの中で、「世間的には問題があるとしても私生活と政治活動のキャリアの評価は分けて見るべきだ」とはっきり言っているものは、見た限りではなかった。本当は、こう言うべきだろうに。だってそうでしょ。
 それは自分に置き換えてみれば当たり前のことだよね。

なぜこういうことになるのか。説明しよう。
文庫版も出ています。
一連の世間の反応に、大衆的な怨嗟や、その裏返しとしてのコンプレックスがあるは明らかだ。東大法学部⇒検事⇒国会議員という経歴、(おそらくは)明晰な頭脳など大衆から見ればそれは手の届かない存在である。だから一層、大衆は彼ら・彼女らに、貞操や道徳手規範を要求し、それをはずれると、あたかも法を犯したような「疑惑」として認識する。単なる「金持ち」ならば、大衆でも小金持ちくらいならなる可能性があるので、それほど「倫理性」を求めないけど、学歴・経歴は、お金では買えない、その人の資質と努力だけで獲得するものだから、余計に大衆の怨嗟の対象になりやすいのだろう。
 大衆は、自身が大衆だということに気付いていない。だから大衆なのだ。オルデカの『大衆の反逆』の中に、ひとりの知的な人間の中にも「大衆性」の部分があることを指摘している。それは確かだ。人間だれしも持っているアンビバレントは側面がある。でもそうした感情を表に出さずに振る舞うのが、知的な人間の振る舞いだ。ゲスな言い方をすれば、他人の下半身問題をことさら騒ぎ立てるのは、それだけ「うらやましい」という思いの裏返しに他ならない。これが大衆なのだろう。
 こうしたことがメディアで続くと、ますますメディアを見なくなってしまう。それでも生活には困らないけど、本当に注目すべきことも見落とすことになりはしないか、自分自身がちょっと心配になってきたけどね。

 一昔前に評判になった「輿論」と「世論」、結局読まなかったけど(書評だけ数種見た)、大衆社会を指摘したものでもあると思います。

2017年8月26日土曜日

日本で最も『無法地帯』な所とは。…死と隣り合わせの恐ろしい場所

netより「引用」
日本で死と隣り合わせの無法地帯は、歌舞伎町でも西成地区でもない。それは高速道路上だ。遵法者が小さくなり無法者が優先される、それがある意味当然のごとくなされているところだ。
 日本の高速道路はいつから制限速度が150㎞/時になったのだろう。
走行車線は100㎞以上、115㎞くらいが今や普通だ。追い越し車線は100㎞で走っている自らの車との相対速度で勘案すると140~150㎞は出している車は頻繁にくる。
 追い越し車線を110㎞くらいで走っていると、車間距離をとらず後ろにぴったりついて威圧する。たいていの車(自身も含めて)はよけることになる。無法者が最優先されることが当然のごとくに。
 なにも、すべて100㎞以下で走らなければならないと、模範警察官の答弁みたいなことは言わない。今の車の性能や安全性から言えば、体感として十分な車間距離や混雑がない状態なら120㎞くらいは、まあ正常な運転だろう。実際、オートクルーズは114㎞を限度に設定できる。他の車を見ているとだいたい同じスピードなので、運輸省の指導かなにかで、この早さが、全車共通なのだろう。それはそれで合理的スピードだと言える。
 しかしだ。150㎞前後で走る車はどう見ても異常だろう。第一に危険だ。またこういう車に限って、車間距離を取らない。一歩間違えば大惨事になる運転であることは間違いない。大谷投手の投球じゃあるまいし、いくらなんで速すぎる。
 かくして高速道路は、危険をかかえた無法者が最優先される日本一の場所と化しているのが実態だ。そう感じている人は少なからずいるのではないだろうか。違反にも限度があろう。それが常識というものだ。 
 「警察はもっと取り締まれ」なんて、バカ老人の叫びみたいなことは言わない。警察だって、高速道路の取り締まりばかりに税金を注げないだろから、限界があることは分かる。ならば効率のいい、安全対策を施すことはできないだろうか。
 たとえばドライブレコーダーを利用して、後ろから煽る車や危険な追い越しをする車の映像が、健全な車から提供されたら、それをもとに「警告」を発することを簡便に行えるなど、税金をかけずにできる方法は考えられるように思う。
 ちなみに我が家の車には後ろにもドライブレコーダーを付けてある。これは前の車につけていた後付のドライブレコーダーが余ったこと。荷台にAC電源があるからでもあるけど、後ろから煽られた時の証拠は残せるようになっている。時間があれば危険な目に遭った時の映像を使って、「告発」できることもできるけど、いまはそんな時間的余裕がないのが残念だ。
 こうしたことを書いていて思い出した本がある。 松本清張の「速力の告発」という短編だ。netで調べると、「分離の時間」というタイトルの文庫に入っている。内容は忘れてしまったが、netによると、「自動車メーカーが交通戦争の凶器を製造しても何も責任をとらないことへの告発」と書いてある。今や自動車メーカーは安全装置で競う時代になっている。松本清張が「速力の告発」を書いた時代からは、本当に隔世の感がありますね。
 それはそれとして、「新・速力の告発」として、この拙文に冠したい。
 
 しつこいようだけど、平穏に暮らし、レジャーに時々高速道路を使用する者にとって、異常なスピードを追求するバカに道をお譲りしなければならないのは何とも理不尽に思います。しかも一歩間違えばそれは死に直結することなんだから。

 こういう輩でいつも思い出すのは、教育学者の苅谷剛彦氏が指摘している、「現在の生活を楽しもうと意識の転換をはかることで、自己の有能感が高まる」(「階層化日本と教育危機」)だ。リテラシーが低い人ほど、自己肯定感、万能感が強いという分析だ。これはいろいろなところで感じることでもある。
 ちょっと関係ないかもしれないけど、もうひとつ思いだしのが、死んだ登山家と生き残っている登山家だ。すでに25年も前のつたない経験だけど、ヒマラヤ登山の同行取材で出会った登山家たちの中で、自信家だった若者は小さな雪崩であっさり死んだ。10人登っていて死んだのは彼ひとりだけだった。今から考えると雪崩というほどのものでもない、限定的な表層雪のスライド程度だったのかもしれない。反対に長く登山家として地道に活躍している知人は。いつも、ある意味で山を怖がっていた。(ように思う)
 正しく怖がることの賢さを、彼は認識していたのだと思う。いろんな意味で尊敬できる人だ。
 どんどん話がそれてしまいますが、まあ高速道路は本当に怖い。正しく怖がって、運転するのが肝要だ。危険を回避するのもひとつの能力だからね。


2017年8月19日土曜日

『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』から考える「祈る平和」への“違和感”。その2

磯田道史氏の『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』が、アサヒの書評欄の「売れてる本」で紹介されていたので、買って読んだ。磯田氏はしばしばNHKのBS放送の歴史番組にも出演する歴史学者で、甘いマスクと平易で親しみやすい語り口で歴史を語る学者だ。
 最初はお手軽本かな?という気持ちで読み始めたが、どうしてどうして、非常に中味の濃い充実した新書だ。Eテレの番組「100分で名著」を加筆修正したものだというが、内容がいいだけにNHK出版も新書化したのだろう。これを1000円以下で購入できるのは絶対オトク。得した気分になる。
 と、まあどうでもいいことから入ったけど、この書籍は立派な「司馬遼太郎論」になっているだけでなく、日本近代史をどうとらえるかという歴史研究書ととらえることもできる。それは加藤陽子氏の『それでも日本は「戦争」を選んだ』にもあい通じる、冷静で公平な歴史認識の提示になっている。
 
 この著書の中で出てくることに、合理主義と対局にある、神頼み、日本人は最後は神が守ってくれるという、盲信が方向性を誤らせたことが指摘されている。もちろんこれは、何も磯田氏が初めて指摘することではないだろうけど、改めて彼の視点で司馬遼太郎の著書を「活用」して伝えてくれている。
 祈ればなんとかなる。神が助けてくれるという日本教(山本七平)的考えが“日本”をオカシナ方向に導いていった。
 このことと、毎年8月に繰り広げられる、祈りの日々、祈りの人々を揶揄するつもりはない。祈りの気持ちはもちろん尊重する。けれど、そうした姿に違和感を覚えるのには、祈ることが、いったんヘンな方向に行くと、「平和を祈る」心情もまったく正反対のものに行きかねない、合理的思考を停止しかねない危険性を感じるからなのだろう。と、自分自身の違和感の「原因」が、磯田氏の本を読んでなんだかわかったように思う。
 
文庫本が出ていました
  言うまでもなく「世界の平和」は強大な軍事力(核の傘)を背景にして成り立っている。それが現実だ。メディアもそのことは十二分に分かっている。ライトもレフトもだ。なのに「祈る平和」はそれとは切り離し、まったく別のものとして扱い報道する。でもそれでいいの?、と感じてしまう。じゃあどうすりゃいいのかという答えは持ち合わせないけど。
 仮に、8月の平和の祈りの一連の行事(6月の沖縄の祈りも含めて)を、祈る平和の考え方はおかしい、もっとリアリズムを子どもに教えるべきた。核の傘があるから平和なんだってことを、なんんて報道を8がつ6日や9日や15日にしたら、そのメディアはどうみられるだろう。マスメディアで最右翼と言われる社でもさすがにそこまではしないだろう。ほとんど読んでないので実際は知らないけど。まあそれが常識的というものだ。
 
 でも、リアリズム、合理的思考に目を背けるのは如何か。祈ることの無力さも認識しなければ、現実を見誤る。それは加藤陽子氏や磯田氏の書著を読むまでもなく、日本が神風を信じて失敗してきた近代と同じだからだ。

netより「引用」
  アメリカでは今でも、原爆が戦争を終わらせたという認識が広く国民に共有されているという。かつて防衛大臣がこの言説を“紹介”したら、失言として世間やメディアから袋叩きにあって、辞任に追い込まれた(と記憶している)ことがあったけど。でもそれは一面の事実なことは確かだ。そういう認識と、「原爆投下の正当化」は分けて考える必要があるだろう。だからこそオバマ大統領(当時)は広島を訪れて献花したのだ。謝罪したかどうかを問うことを被曝者団体もレフトなマスコミも直前のところで抑えた。リアリズムの中で、結果的に出てしまった多くの犠牲者に対して敬意を表したのだ。オバマさんは。そのことに対して、われわれ日本人(という大雑把なくくりはあまり好きではないけど)も敬意を表さなければならない。
 原爆の威力がいかに悲惨な結果を招くか、そのことは伝えていかなければならない。その意味でも8.6や8.9は大きな意義がある。だからこそ、その日を祈りの日にしてはいけない、結果の悲惨さのリアリズムを伝える場にしなければならない。世界の指導者がそのリアリズムを見ることにより核ミサイルのボタンを押すことを思いとどまることが、万にひとつもあるかもしれないから。

2017年8月12日土曜日

私たちはいつまで“慰霊”を続ければいいのか。「正さ」への違和感

今年も8月6日、9日があり、15日が来る。言うまでもなく6日は広島原爆投下、9日は長崎原爆投下、そして15日は「終戦の日」とされる日である。(単に「玉音放送」が流れた日なんだけど)。また加えて、本日(12日)は、日航ジャンボ機の墜落事故の日(32年前)であり、今年も慰霊の登山が行われることが朝のニュースでやっていた。
 親しい肉親を亡くした当事者たちにとっては忘れがたい日であり、慰霊を続けることに大きな意味があるのは、もちろん理解する。先のアジア太平洋戦争を知る当事者の方々もまだ多く存命だ。6日、9日、15日に祈ることは当然であり、その気持ちを否定する気はもちろんない。また原因を作った当事者(国家)が、犠牲になった方々の慰霊を支えることも、もちろん当然のことだ。
 慰霊の気持ちを否定する人はいない(特殊な人々を除いて)だろうし、その意味では「正しいこと」が毎年行われている。だから首相を始め多くの権力者も出席して式典が行われる。そうした基本的認識を持った上でなお、この「正しい」に違和感を持つことは、“異常”なのだろうか。
NETより引用
6日の広島の式典をテレビで見ていてどうしても違和感をぬぐえなかったのは、小学生に宣言させていることだ。当事者の方々にしてみれば原爆の悲惨さを後世に伝え子孫(もうひ孫もいるだろう)世代にも同様に悲惨さを共有してもらいたいという気持ちだと思う。この時期毎年のように新聞やテレビニュースの企画で行われる「語り部」の話も同様の気持ちからだろう。しかしその小学生たちは、ホンネとしてどういう気持ちなのだろうか。
 人の気持ちはそれぞれで一概には言えない。自身を振り返ってみると自分が小学6年生12歳の時は1970年。その72年前というと1898年だ。明治31年だ。
 日清戦争が1894年、日露戦争が1904年だからその間ということになる。この時代を小学校6年生が「原体験をして共有せよ」と言われても正直難しいところがある。もっと言えば、まだ存命だった祖父母から「日清・日露の戦いは・・・」なんて原体験としては聞いたことがなかった。アジア太平洋戦争の終結から25年しかたってないその戦争の話を聞くのが精いっぱいのことだった。
 時代の、いわゆるスピードが違うということもあるだろうし、小熊英二氏が確か6月のアサヒの論壇で指摘していたとおり、いまだに戦後○年とういう表現が使われる背景は戦後は新たな国家が作られたという認識が国民に多く共有されているからかもしれない。
 そういう背景的要因はもちろん認識するけど、それでも12、3歳の小学生に原体験として72年前のことを共有するようにも求めることには違和感を持ってしまう。おそらく大人が書いたであろう「平和宣言」を読み上げる姿を見て考えた正直な気持ちだ。
 当事者の方々は小学生に原爆投下の原体験を共有しろと言っているのではないかもしれない。単に、この出来事をきっかけとして「核なき世界」「平和の尊さ」を学んでほしいから行っている演出だというかもしれない。
 古市憲寿氏が以前、書いていた「平和の記憶から始めればいい」という主張は、私は正しい主張だと思う。
 当事者の方々の「悲惨は状況を忘れないでほしい」という気持ちは、失礼を承知で言えば、ある種の「承認要求」だろう。もちろんその気持ちは大切だし、平和を構築することを考えることは重要だ。でも出来事はいつかは「歴史」になる。歴史を正しく認識するという方法で平和、核兵器、等々を学ぶことは許されないのだろうか。原体験として語られることを引き継ぐことでしか平和は考えられないのだろうか。
国連事務次長 中満泉氏

 今年の広島、長崎の式典には「核兵器禁止条約」の批准に奔走した中満泉国連事務次長も出席していた。それはそれで非常に今日的意味のあることであり、そうした動きを否定するものでは決してない。
 中満氏がかつて言っていたように思うけど「祈る平和もあるけど、積極的に動く平和もある」というような趣旨(間違っていたらすみません)と発言していた。彼女はそれを身を持って動いて実現した人なのだろう。非常に大きなことだと思う。だからと言って祈る平和を否定する訳ではない。もちろん。
 だからこそ例年、メディアが祈る平和を大きくとりあげることに、なおさら違和感を持ってしまうのだ。原体験という呪縛からそろそろ脱してもいいのではないか。歴史として戦争、原爆投下を認識し、そして積極的平和主義に動いていく。そのことの方が大切だ。小学生に「祈る平和」を宣言させることの違和感とはそういうことなのかもしれない。ここまで書いて、やっと自分の気持ちに整理がついた。

 

2017年7月29日土曜日

民主党(民進党)にもう一度チャンスを与えたい。蓮舫は頑張ったと思う。

 蓮舫さんは頑張ったと思うよ。自分が「党首」の器ではないことは重々承知の上で、民進党(民主党)をなんとか浮揚させたいと去年立候補して党首になり、人寄せパンダになることことを決意したんだから。自宅や私生活まで民放のゴールデンタイムで公開して、それはそれで涙ぐましい努力だったと思う。
 でも、力尽きた。主に新聞報道から判断すると、まあどこの世界でもあるんだろうけど、ポストへの妬みなど不満ばかりが目出ち、足を引っ張ることの方が目立った。支持率が上がらない原因はきっとその辺になるんじゃないかな。
 世論の支持があれば不満も控えられるがそれがないから、いろいろ文句言う輩が出てくる。マスコミはそういう声を「拾う」。だって記事になるから。そうするとますます支持率は下がる。いわゆる負のスパイラルということだろう。
 やれ下野した時の党首(総理大臣)が幹事長だの、党首の国籍問題だのといろいろい不平不満を言いつのる人々、風に乗りたいだけで、離党(要するに宗旨替え)してナンとかファーストに行く人など、もともと党を利用していただけの人々。はたから見ていると人間の醜さだけが見えてきてしまう。
 月刊誌『世界』7月号に、玄葉さんなど民主党(民進党)のホープと言われる人々の対談が掲載されていたけど、そういうことはある程度、こうした良識ある人たちには共有されているのはせめてもの救いだ。
 今月のアサヒの論壇でも取り上げられていたっけ。
「自民党の受け皿」という言い方はあまり好きではないけど、政治に緊張感をもたらせ、よりよい方向にこの国(「この国」という言い方も自分ファーストみたいで好きではないけど)を導いいくためにも民進党の存在価値は大きい。好き嫌いは別としてね。だから小異を捨て大同につく度量をもってやっていってもらいたい。(ゴメン、そういいながら先の都議選では民進党候補以外に投票しました。だって民進党候補は当選の可能性がなかったし、魅力のない人だったから)。
 話は少し逸れるけど、安倍首相はどうなんだろうね。この人ほど失敗を糧にして学んだ政治家はいないだろうし、菅のサポートの凄さでもあるけど。こと外交に関してはなかなかやると思った。退任間近のオバマ大統領と真珠湾に行き、和解を演出し、その記憶も新たな時にとってかわって就任前のトランプに合いにいって、飼い犬のごとく尻尾を振ってきたのにはいささか驚いだけど、それはそれでなかなかしたたかだ。トランプへの態度を聞かれて「もっとも重要なパートナーであるアメリカのリーダーに敬意を法するのは当然のことだ」と言っていた。あの安倍が、腰の低いことを言うのは、なかなか大人だと、この件に関しては思ったけどね。
 その安倍もつまらないこと(と、言ったら批判されるけど)でつまずいた。日本の政治家ってその意味では似たりよったりですね。過去には宮沢喜一や加藤紘一のリクルート事件。まあ宮沢は復活したけど。
 よく言われているけど高度成長期でお金がじゃんじゃん入ってくる時に利害調整や利益配分をやっていれば政治になった時代ではない。もう選択肢は狭まっている。その意味では自民党でも民進党でも政策は似たり寄ったりだ。それはしかたない。だから何を選択するではなく、誰にやらすかという選択肢になってきてしまう。
 あまり同じ顔ぶれ同じ政党が続くと、そこにはなれあい癒着、マンネリがはびこる。民進党ももう一度政権を担わせ、政治に緊張感を取り戻すことは必要なことだ。「お部屋の掃除」と同じだよ。
 PKOで「戦闘状態」だったかとか、憲法改正の是非など、どうでもいい。と、言ってしまうとニヒリズムとみられ、良識ある人々からバカ扱いされるけど。あまりそういう問題で先鋭化するのではなくて、党議拘束を解いて平場で議論するくらいの冷静さがほしい。だって周辺の国々はみんなしたたかでしょ。内田樹さんが「街場の中国論」などで書いていたけど、15億人の胃袋を預かっている国の元首の緊張感と島国日本の政治家ではそりゃ違うだろう。ノーテンキな国だよね。
 蓮舫の好き嫌いを別にして、民主党(あえて民主党というけど)にはもう一度頑張ってほしい。鳩山や菅など第一世代のおバカさんたちがいなくなったのだから。
 
 本日は久しぶりに、ここ最近の報道からか感じることを書き殴ってしまった。まあこれが無責任ブログの良さだけど。

2017年7月8日土曜日

「トミンハイム」と「都民ファースト」て発想は同じだね

大田区多摩川の「トミンタワー」
「トミンハイム」という名称の建物が、拙宅の周囲にもいくつかある。大田区の多摩川沿いにある少し高層の大きな建物(トミンタワーと言うらしい)、目黒区の都立大学跡地のパーシモンホール脇、最近発見したのは田園調布の玉川浄水場の脇に建物もトミンハイムだった。
 『都営住宅』という言葉が「良くない」とされ、カタカナでヘンテコな和製英語だかなんだか分からない言葉にすることで、都営住宅の持っているイメージを一新しようという「たくらみ」又は「くわだて」なんだろう。
 都営住宅(市営住宅)は低所得者のために提供される住宅、都営住宅がある学区の学校は「よくない」などと言われる。それが本当かどうかしらなけど。そうした風評をぬぐいさる手立てとして「トミンハウス」なる名称が誕生しただろうことは、想像に難くない。そのことを
 で、これって『都民ファースト』とは、発想や構造がまったく同じじゃないか。言葉をおしゃれにすることで、大衆に「夢や希望」(実は幻想なんだけど)を与えて、期待を持たせる。実態を覆い隠す。
聞きかじりのにわか知識で言うと、ソシュールの言語論で言うところの、「モノが言葉を規定するのではなく、言葉がモノを規定する」(言語論的展開)ということであれば、それなりに効果はあり、為政者が次々に新しい言葉を生み出すたくらみから逃れられないのは、それなりに理解するけど。
 でも、われわれトミンはそれに惑わされてはいけないよね。

しかも「●●ファースト」という言説にはエゴイズムが内在されている。かの国の「アメリカファースト」は、それを言っている人がモロにエゴイズムをむき出してしているから、多くの他の国の人が眉をひそめている。それなのに『都民ファースト』の発想を批判する大手メディアはない。(ように思う)
でもそれは、せんじ詰めれば自分第一主義、エゴイズムということではないの?小池さん。だからと言ってこれまでの既成の自民党中心の政治がいいと言っている訳ではないけど。
 これまでの小池知事の行動は一定程度評価はする。(個人的には好かない人だけど、その思いは排除して)。でも、彼女のやっていること、やろうとしていることは、実はフツーの首長がやっていこうとしている人とそう変わりはないんじゃないかな。豊洲の問題は別として。どんな首長でも、まともな人であれば選挙民である自分の自治体の人々を優先して考える。例えば、自分の自治体にごみ焼却場がないのに他の自治体のためにそれを作る人はないでしょ。トミンハウスじゃなかった、トミンファーストとは、それを、ある意味でうまい表現で言ったに過ぎないし、繰り返しになるけど突き詰めるとそれはエゴイズムに近づいていくということだ。
 しかもこうした言葉に内在されている危険性は、言葉を適用範囲が広がれば広がるほど、曖昧になり、狭めれば狭まるほど、エゴイズムに近づくということだ。小池さんは最近「国民ファースト」と言い始めている。彼女の指す、都民、国民とはどういう人を言うのか。様々な利害関係、それぞれの思いは一様ではない。それらをひとくくりにして、言う時、その人たちの利益はぶつかるでしょ。「世界ファースト」「地球ファースト」と言ってみれば、小学生でもわかるでしょ。言葉として。
 言葉遊びに惑わされてはいけません。トミンのひとりとして、どう受け止めたらいいんだろうかね。まあどうでもいいけど。

(追記)
 ところで、ついでに都営住宅についていろいろ考えてしまった。余りに“豪華”な公営住宅ってどうなのかな。別に、貧乏人に税金で贅沢させるななんて言っている訳ではない。公営住宅を必要としている人は確かに存在するし、行政の施策として公営住宅の供給は確かに必要だろう。しかし希望する人(条件に適って)全員が入れる訳ではない。そこには入りたくても入れない人も出てくる。そうした人は仕方なく民間の住宅に入る。そこには格差が生まれる。一方トミンハイムなどの住宅に入った人はそこがあまりに立派で住み心地がいいと、収入が上がっても出たくなくなる。または頑張って稼ごうというインセンティブが沸かない。つまり勤労意欲をかえって削ぐ結果となる。公営住宅を供給する方は、(税金の許す限り)できるだけ「快適」な住宅を作ってあげようとするだろう。それが碁行政マンの人情だとも言える。けど、それが度を過ぎると公平性の観点から問題が生じる。そのさじ加減が難しい。
 豪華なトミンハイム(内は知らないけど)の存在は、平等とは、とか、公平性とはとかいろいろ考えさせられるものになるね。
 最初に戻るけど、「都民ファースト」も同じでしょ。何をfirestにするのか、よく分からない。いまのところ言葉だけが踊っている。
 豊洲に移転するけど、築地も残すという「計画」は耳には心地よく聞こえるけど、八方美人で移転推進派、反対派どちらにもいい顔しようという発想でしかないのは、フツーの人ならすぐ分かる話だ。
 少なからず都民税をお支払している立場で言うと、なんとも言い難いよね。私も都民なんですけど。

 

小型ザックに悩む。荷物を下し汗をぬぐう一連の動作が重要だよ。

グレゴリー・ズール35
登山に限らずザック(バック)は、ひとつの趣味の領域かもしれない。ハンドバックをいくつも持つ“ご婦人”でなくても、いわば洋服と同じで、その場に合わせていろいろ変えてみたくなる。特に登山用となると実用性が大事だから、その意味でしっくりくるモノが欲しくなる。愚息が石井スポーツ登山本店の壁いっぱいに並べられているザックを指して、あれ全部ほしいと言って、苦笑したけど、そのココロは分かる。(笑い)
 だからザック選びには悩む。特に歳をとってあまりノモを買う金銭的な余裕もなくなってくると、「イッピン」を決断するのにも時間がかかる。
オスプレー・ケストレル38

 と、またしても前置きが長くなってしまったけど、いまの悩みは小型ザック(35~40ℓ)ザックを何を選ぶかということだ。
 去年北岳~間ノ岳往復の“弾丸登山”をした時に背負っていったのは50Lのミレーだった。大きすぎるのは分かっていたけど、他にないからしかたない。大は小を兼ねるで、歩いたけど、やはり使いづらい思いをした。加えて、息子がだんだん成長し、私より多く荷物を持ってくれるようになってきたので、こちらは次第にラクだ。ワッハッハッ・・・。
 どうでもいいことを挿入したけど、下記にこれらのザックを、神田・神保町のビクトリア、ICI石井、などで見た感想を述べる。
グレゴリー・パラゴン38
グレゴリーはちょっと高めだけど、確かに良いザックだ。これまで購入したことはないけどね。今年の中型ザックの特徴は、オスプレーもそうだけど、背中に当たる部分を剛性の強いワイヤーでアーチをつくり、背中とザックの間を中空にして熱や汗を逃がす構造になっていることだろう。(去年はあまりよく見ていないので今年の特徴ではないかもしれないけど)。ズール35(女性モデル=ジェイイド33 or 35 もあり)は、ザックカバーも付属されている。

 ※最近のザックはカバー付属が多い。数年前まではミレーくらいしかなかったように思う。数年前、50Lザックを買う時にミレーを選んだのは肩当てに手をかけるループがあることと、ザックカバーがついていることが結構決めてになった。

オスプレー・ストラスト36
ズール35は1気室で構造的にもシンプル。両側にメッシュのサイドポケットもあり、使い勝手もシンプルに便利だ。初心者にも使い勝手がいいだろう。だから年寄にもいいかもしれない。
 ただ、はやり?の背中の中空構造は、ちょっとどうかなって思ってしまう。暑い都会で見ていると、「これはいいアイデアだ」と思うけど、山でそこまで必要かどうかということだ。
 
 確かに真夏の日中歩くとなると背中に汗をかく。しかししばらく歩いて、汗が気になたらザックをおろし、背中に風を入れて、ひと休みし。タオルで汗をぬぐってまた歩き出す、という一連の動作が山歩きには結構大事なんじゃないかと思う。一息入れるというのは、そういうことだ。次への持続性を保つために。
 
 なるべく休まず、それこそ「弾丸登山」で真夏の炎天下を歩き続けるのなら有効であろうザックの設備って、なんだろうと思ってしまう。一時の流行りにも見えてくる。

 この項目を書くに至った動機は、もちろん「書くことによって考える」ことだ。数々のザックを見て来て、悩みが増すばかり、迷いが増すばかりだからこそ、アタマを整理するために書き始めた。なかなかまとまらず3週間目に突入したけど。
 でも自分が何を書きたいのか、書くことによって分かってきた。そう、今記したように山歩きでは、荷物をおろし、汗をぬぐい、一息入れる動作、所作が結構重要だということに、気付かされたことだ。汗をぬぐう動作を軽減するザックの機能は、もしかしたら余計なにかもしれない。
 ちょっと話は飛ぶけど、村上春樹さんがエッセーで、キャスター付きバックのことを書いていた。外国旅行の経験が多い村上さんは、最近(と言ってもエッセー自体がもうだいぶ前かもしれない)、ガラガラとキャスター付きバックを“引いて”歩く人が多いことを書いていた。そして自分は、そうしたものを持たない、普通のボストンバックで行くと。なぜならばキャスター付きバックは舗装された平坦なところでは非常に有効だけれど、そうでないところでは途端に使い勝手が悪くなる。あることを立てるとあることが立たなくなく。その点ボストンバックは持てばちょっと重いけど、どこでも同じように「運べる」と、いった趣旨だったと思う。全く同感だ。
 よく1つ2役、3役の「便利商品」なるものが、紹介されるが、一時のブームはあっても不思議と定着しているものは少ない(ように思う)。結局モノには1つの機能しか持たせられないんじゃないかな。考えてみると人間も同じようなもので、作家には作家としての機能、企業経営者には企業経営者の機能、それぞれ特化した役割があって、いくつもの機能を併せ持つ人は、ごくまれにはいても、まれだということだ。フツーの人間ならば2つのことは追えないということを思い知ることが大切だね。
 
オスプレー バリアント37
で、結局最後の候補に残っているのが、ロングセラーのオスプレーのバリアントだ。50Lと37Lがある。アックスやクランポンがつけやすいなど、本格派登山家向けだ。ウェストベルトもハーネスを付けて登攀する時のために取り外しが可能になっている。ただ専門登山家でなくても「シンプルだけど機能的」な構造は、結構使い勝手がいいんじゃないかな。先祖帰りではないけど、やっぱりこれにするかな。
 レインカバーは付いていないし、ウェストベルトにポケットもないけど、どこか魅力がある。人間で言えば質素で控えめだけど隠れた魅力があるといったところかな。
実は息子が今年大学山岳部に入ってこの50Lを買った。(というかオヤジが買わされた<笑>)。使い勝手はいいようだ。39歳年上のオヤジもこの37Lに魅力を感じている。

追記:
で、結局ICIでストラスト36の青を買いました。グレゴリーも魅力だったけど、在庫がなかった。人気なんだって。


2017年6月17日土曜日

「最も危険なアメリカ映画」は米近代史の教科書だ。

 最初にアメリカに触れたのは、本多勝一氏の『アメリカ合州国』だったと思う。合衆国ではなく「州」だといちゃもんをつける本多氏の主張は確かにそうだった。そのタイトルだけでなく南部を歩くルポは、若い自分にとって新鮮だった。手元にないのでネットで調べると1981年刊となっている。すでに大学生だったのか。でも未熟な自分は、キング牧師の名と黒人解放くらいは知っていても、それ以上の具体的な出来事やアメリカの暗黒な歴史までの知識はなかった。
 
 「ドライビングMissデイジー」は、1989年の映画だ。
なぜだか印象に残る映画だ。DVDで2回観てしまった。
白人の警察官が「ユダヤ人と黒人の組み合わせか」と嘲笑するセリフが、この映画の背景のすべてを物語っていた。
『ドライビングMissデイジー』
(※追記:この印象深い映画も、見方を変えれば(町山さん的に解釈すると)、白人国家にあって、あるべき控え目で従順な、“模範的”黒人像を描いていると言えなくもない。またそういう見方はある面当たっていると思う。)

 と、前置きが長くなってしまったが、町山さんのこのアメリカ映画を分析した近著は、アメリカを知る上で、最もリアルな本だろう。この本を読んでアメリカの大衆社会のえげつなさと反知性主義の歴史が本当によく分かる。アフリカ系アメリカ人や先住民の苦難の道のりと、今も多くの白人に内在する差別意識など、一言では言い尽くせない豊富な内容だ。
 「バックトゥーザヒューチャー」や「フォレストガンプ」に隠された意図など、アメリカの現実を知ることができる。単純に感動したり、面白がって映画を見ていては、いけないことがわかる。
『さらば白人国家アメリカ』に書かれていたとおもうが、「サイレント・マジョリティー」の意味が、単に物言わぬ多数の人々という意味ではなく、アメリカでは、表立って差別意識を出せず、ホンネを言わない白人の集団を指すこと。ペイリンが言う「リアルなアメリカ人」という言い方が、白人たちを指すことなど、隠語的意味を解説してくれている。
報道では「草の根の保守」としか描かれていない(と思う。少なくともNHKニュースでは)「ティーパーティー」運動が、実はコーク兄弟に操られた運動だったことなど、それこそ「リアル」なアメリカが分かる。
 一読の価値あり。内容から言って1400円は非常にお買い得!
 

アメリカの“ルポ”というかフィールドワークで興味深いのは、もちろん渡辺靖さんの一連の著書だ。でも渡辺さんの本では補いきれないものが町山さんの本にはある。

ちなみに「アフターアメリカ」はこれはこれで、大変いい書籍だ。