2013年7月25日木曜日

「全員 病人」で溜飲を下げる。里見清一氏の「衆愚の病理」



そういうトシになったということなのか、それとも質が高いと言えるのか。「新潮45」が案外面白い。
いつも図書館で1か月遅れで借りてくるので、仕入れた“情報”や“知識”や“教養”は、いささか古いが、総合誌や論壇誌と言われるジャンルの月刊誌が少なくなっていく中で、割とマトモな内容の原稿が多いようにおもう。

連載は終わってしまったが、「『日本書紀』はどのようにして書かれたか」(岡田英弘)などは、歴史の知識に疎く、教養も極端に不足している私にはちょっと難しかったが、この日本の記紀の内容が、いかに恣意的に書かれているかを論じていた。
(歴史知識が極端にないところは、私の泣き所で、いつも歴史好きのムスコに尋ねては、「オマエはそんなことも知らねーのか」という軽蔑の目で見られている。トホホ)

特集は5月:アレルギー日本 、6月:反ウェブ論、7月:橋下徹の落日
などとなっている。連作執筆陣も片山杜秀、里見清一、佐伯啓志などである。
  
詳しくは新潮社のweb site を見てね。http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/

さて・・・・、
理想に燃えた?若いころとは違い、ヨワイを重ねていくと社会の現実を目の当たりにし、「辛酸ナメ子」も多少経験すると、どうしても「現実」重視の考えに傾いてくる。加えて、社会状況が「成長」から「停滞」に移行してきていることも関係しているかもしれない。世間ではそれを「保守化」というのかもしれないが、中島岳志氏のいう意味での「保守」ならば、その言い方を受け入れてもよい。「右翼」では断じてないから。
「新潮45」は、そうした“中年男児”の心持ちにけっこうピタっとくるラインナップなのだろう。


以下、総合誌の私的評価
●「世界」(岩波)は理想論すぎる。若いころは、読まなければならないものとして我慢して読んだが、今はその気力がうせている。(一応は、毎月借りてきてパラパラ見ているけど)

●「正論」は、時々面白い原稿もあるけど、やっぱりちょっと偏りすぎているかな。根底に強固な思想があり、それに基づいた編集だから、宗教関係の雑誌のようにちょっと「引いて」しまう。
体罰による高校生の自殺が明らかになった時、「『体罰』擁護論」を展開して、ちょっと首をかしげたくなった。この雑誌には「保守」だけでなく「右翼」思想が伏流している。

●総合雑誌の王者「文芸春秋」は、「功成り名を遂げたサラリーマン」諸氏のためのというのがプンプンで、あまり手にとらない。「同級生交歓」なんか(つい見ちゃうけど)やっぱりイヤな感じだ。

●「中央公論」は読売の軍門に下ってしまったが、「論座」も「現代」も、右で言えば「諸君」も消えた中では、わりと頑張っているかもしれない。これも図書館で1か月遅れで借りてくる。経営は読売に押さえられていても編集者の中には、反骨的に頑張っている人が何人かいるのだろう。

で、「新潮45」に連載を持っている里見清一さんの著書、「衆愚の病理」を読んだ。医者のホンネ、知識人のホンネをうまく表現する筆力がある方だ。ホンネもただ、衆愚の民を見下して批判しているのではなく、なぜそうなるのか医師として、というよりは心理学者的洞察で喝破している。

▽終末期を迎えた患者に対して、普通家族は負担も面倒もいやがる。だから治療が終わっても「入院」を続けられるように懇願する。
▽初めから(延命的)措置をしていないのなら問題ないが、延命措置を止めるのは「殺人」として告発さえされる。
▽医療費がタダの生活保護者は、医者に延命のため「できるだけのことをしてください」という。どのくらい医療費がかかるかなんてカンケイなから。
などなど、あまり正確でない要約引用なので、ホンモノを一読あれ。
この新書の宣伝用帯には、白地に大きな文字で「全員 病人」とあった。自戒も含めて、人間は完全じゃないことを認識しつつ(つまり、自分を絶対と思わず)、他者を批することの大切さがメタファーとして読み取れた。

2013年7月20日土曜日

警告!ユニクロの下着は山では禁物

日本人の国民服「ユニクロ」の服は、私も愛用している。先日、旧知の友人と待ち合わせたのが、新潟県内のとある大型ショッピングモールにあるユニクロの前だった。その時、気が付いたら、靴下とベルト以外、すべてユニクロ製品を身にまとっていて、思わず苦笑してしまった。

下着は今年売り出しのAIRism(エアリズム)のパンツとシャツ。ズボンはストレッチジーンズ。上は7分袖のシャツだった。

さて本題。ユニクロのエアリズムは確かに肌触りがよく、宣伝によれば、抗菌防臭、ストレッチでドライときている。街で着るには確かにいいかもしれない。着心地はいい。

ドライもウリにしているので山行でもいいように思え、先日の剱岳山行で息子がトップス(要するにランニングのこと)を着ていた。天気は曇りで多少蒸した。
結果、雷鳥沢から別山乗越までの登りで、だいぶ汗をかいた彼の下着はびっちょりになってしまった。うまく体から出た汗の蒸気が外に逃げなかった。途中で脱がして、モンベルのウェアをじかに着せた。

同じエアリズムのボトム[ローライズ](要するにパンツ)をはいて、一昨日、自宅近くを10キロほど夜ランをしたが、このときも、パンツは汗でかなり濡れた状態になった。

ユニクロの「エアリズム」は運動時の発汗にはあまりうまく対処できないというのが実感である。
これはエアリズムが欠陥商品だと言っているのではない。ビジネス用など用途によっては下着としては優れているが、運動にはいささか向かないと言っているだけだ。誤解のないように。

ランニングやスポーツクラブでの運動で私が身につけている下着(パンツ)はBVDの少年用(身長160センチサイズ)の下着だ。これは汗に対して、すこぶるいい。

エアリズムとの違いは何か、素材に注目した。
使用しているBVDはナイロンが84%、残りがポリウレタン。
一方エアリズムはポリエステルが86%で残りがやはりポリウレタン。

ネットから探した、ナイロンとポリエステルの素材の特徴の違いが分かりやすかったサイトを紹介する。
http://www.seimo.co.jp/gousen-tokuchou.htm

これを読むと、特徴が似てはいるが微妙に表現を変えているところがある。
また、ユニクロはじめ、各社製品は、繊維素材の特徴だけでなく、肌触りや抗菌防臭、ストレッチなどを施すため、ユーザーにはわからない加工もされているだろうから、一概に素材の特徴差だけでは論じえないかもしれない。

ポリエステルの方が伸縮性がいいのか、最近のスポーツウェアではこの素材を使うのが多いようだが、汗をとにかく逃がすためにはナイロンの方が優れているのではないか。

これは経験則だけからの推論なので、確かなことはわからないけどネ。


しかしなんといっても、山には「クロロファイバー」だろう。冬の下着というだけでなく、夏でも十分いける。ネットで「クロロファイバー」を検索するとあまり詳しいものは出てこない。
最近は、流行らないのだろうか。すごくいいんだけど。

私の持っているクルrファイバーのアンダーは、NORTH CAPEのモノだ。ネットで検索してみて、いま初めてこれが「大倉スポーツ」だと分かった。クロrファイバーとはポリ塩化ビニールとなっている。
これはどんな素材なのだろうか。

2013年7月14日日曜日

残雪多し、2013年7月中旬の雷鳥沢&剱沢 あやうい山行だった

2013年7月12日(金)の雷鳥沢全景
こんなに雪が残っているとは驚きだった。海の日の連休を利用して、剱岳を目指した。休みを一日前倒しして12日(金)朝5時に東京を出発。長野県の立山黒部への玄関口、扇沢に9時過ぎに到着し、9時30分のトロリーバスに乗り11時前に室堂到着。荷物を整理し、そばをたべて歩きだ出す。

予想外の大雪に驚く。雷鳥沢はごらんの通り。そこから剱御前小屋を目指して別山乗越まで標高差500メートルを登り返すが、ここもすごい雪。乗越につくと、強風が吹き抜けていた。

風邪気味で調子のあがらない15歳の息子はキツそうだった。少し咳も出ていたので、2000m以上のところに宿泊するが、心配になった。少しでも標高を下げようと、剣沢をくだり、午後4時前に剱沢小屋に到着した。天気が下り坂で翌日が心配だった。

2013年7月12日(金) 剱御前小屋への登り返しもごらんの通りの状態だった。
幸い息子は咳き込むこともなく小屋では休めた。
しかし夜半からものすごいか風と雨で、翌朝は登頂を断念して引き返すことに。

 しかしここで危うく“遭難”しかける。
風雨だけでなく、霧もすごく視界が悪い。沢筋は上に2つに分かれていて、剱御前には、向かって右の沢を詰めなければならないのに、左の雪渓をたどってしまった。途中で気が付き、引き返して事なきを得たが、雪渓を大きな石でも滑ってきた直撃されたら、遭難したかもしれない。

地図では夏道が点線で書かれているが、この雪でとても進めるところではなかった。4本爪アイゼンなんて、ほとんど役にたたない(それでもないよりはマシだけど)ことを実感した。

われわれのように、ちょっとヤマを知っている(つもり)の中途半端なヤツが遭難騒ぎを起こすのだろうな、と自覚できることが唯一の救いだったかもしれない。

ちゃんとしたゴアテックスの雨具をつけていたが、室堂ターミナルに到着した時は、わたしも愚息もけっこうずぶ濡れ状態。靴の中はちゃっぽんちゃっぽんいっていた。雨も袖口から入り、ウェアもかなり濡れてしまった。これまで経験した中で一番すごい天気だった。

雪渓が溶けたところは氷になっていたくらい、冷え込んでいた。しかしそんな中でも我々とは逆に剱を目指す人々がいたことに驚いたが、勤め人にとっては貴重な3連休だ。無理をするパーティーもあるのだろう。

12年くらい履いているスカルパの登山靴(3シーズン)は、腫れていれば問題ないが、濡れるとヤバい段階にきたようだ。手入れは怠らずしてきたつもりだが、そうろそ限界かな。(実はスパッツを忘れてつけていなかったこともある)


●教訓1
こんな風雨の時に絶対必要なのは、ゴム手袋だろう。息子が手袋を忘れたので、私のゴアテックス、ウィンドブロック造りを貸した。予備は軍手だったので初めからはめなかった。素手で歩いたので、どんどん手から体温を奪われつめたくなってきた。靴ひもが緩んだので絞めなおしたかったが、とても指に力が入りそうもなかったので、我慢した。

こんな時あればいいのが「炊事用ゴム手袋」だ。手が濡れなくてすむし、袖口から雨水が入るの防ぐ。いつもは何となく持っていくのに、“今回に限って”持ってこなかった。トホホ

失敗(遭難)するのは往々にしてこういう時だろう。ちょっと反省した山行だった。でもまた行きたい。苦しくても山は楽しい。そして息子と行けるのも嬉しいから。



2013年7月6日土曜日

沖縄慰霊の日の小学生の「へいわってすてき」は切ない。ただ願っていても平和はこないから。

6月24日 
朝日新聞より「引用」
6月23日の沖縄「慰霊の日」の追悼式で、与那国町の小学1年生(6歳)が、覚えたてのひらがなで自ら作った詩、「へいわってすてきだね」を朗読した。これはほとんどすべての新聞やテレビニュースで取り上げらたので、多くの人が見ただろう。

 平和を願わない人は武器商人か「希望は戦争」と言って論壇に話題をふりまいた赤木智弘氏くらいかもしれない。(ほかにもネット上にはウヨウヨいるのかもしれないが、私は見ない。)

 6歳の“純粋”で“無垢”な子どもの率直な思いとして、「へいわってすてき」という言葉は改めて大人に突きつけられた「課題」に他ならない。
 
 しかしである。ちょと斜に構えて見てしまうと、本当にこれでいいのかと、ちょっと考えてしまう。沖縄は平和教育が盛んだと仄聞する。それはそれで結構なことだけど、ただ「平和を願う気持ち」を、教え込まれて身につくものではないだろう。この与那国の子のように自分の家族から体験として聞き、考えることによって、絞り出されてきた言葉だ。
その先、「どうしたら平和を獲得できるのか」ということまで、きちんと考えることこそが、真に平和を獲得することではないのか。

 こんなことを考えてしまったのは、西部邁の「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由」を斜め読みしたから。
 普通なら私の志向からすると「右翼のじいさん」が「晩節に吠えている」くらいにしか思わず、書店で見ても無視する類の本だ。しかしいくつかの誌(紙)で書評に取り上げられていたこと。西部氏を、若手論客の中島岳志氏が「師」と仰いでいることを思い出して、図書館で借りてみた。
 中味はだいたいが「老人の小言」風であり、あまり面白いと思わなかったが、それでも、何か所か読むべき価値のあるパートもあった。オルデカを取り上げて現代日本の「大衆性」について述べていること。また「平和とは大国による力の均衡」と言っている部分などだ。

 中島氏は「保守」と「右翼」の違いを明確に説明してくれて、わかりやすが、その区分けに従うと西部氏は「右翼」ではなく「保守」であることがわかる。
「平和とは力の均衡」とは、よく言われることではあるが、“日本という国”ではあまりこれが共有されていない。特に革新系と言われる人々には、その現実をことさら避けているようなところがある。

 「さきの戦争」では、沖縄では地上戦で多くの一般住民が犠牲になった。日本軍の盾にされもした。そうした現実の中で、平和を願う気持ちは、他の地域にも増して代々受け継がれてきていることは想像に難くない。そういう人々の「平和なんて力の均衡でしかないのさ」、「武装していなかったら、とっくの昔に尖閣列島だけでなく先島諸島全体がすでに中国のものになっているよ。チベットをみればわかるでしょう。」なんて言うことが正しいモノの言い方なのかどうかはわからない。

 しかし教育とは、理想論だけを刷り込むのではなく、現実を知ること(それは偏狭な知識だけでなく、広く教養も含めて)こそ必要なのではないのか。と、考えてしまった。

 与那国の小学1年生に向かって「理想論だけじゃダメだ。」と教えろと言っている訳ではない。理想を思考するひとつの出発点にして現実(それはしばしば見たくないものであったりする)に向き合う学習こそが大事なのではないか。

メディアの伝え方は、しばしばそうした「本質」から半ば意識的に目を背けて、キャッチな「へいわってすてき」だけに飛びつく。これこそが一番の問題なのかもしれない。


2013年7月5日金曜日

ナルシスト泉田裕彦新潟県知事の幼稚な言説。柏崎刈羽原発の再稼働を巡って。

7月3日朝日新聞より「引用」
柏崎刈羽原発が安全なのかどうか。安全の度合いがどの程度なのかは知らない。再稼働が「正しい」選択なのかもわからない。だから良いとも悪いとも決めつけない。
それはそれとして、東京電力が、新しい安全基準に基づいて再稼働審査を原子力規制委員会に申請したことについて、新潟県の泉田知事は「信頼関係を破壊する行為」と怒ってみせた。

衆愚の民と同様の空虚な言葉が躍っている。泉田氏はまた、「安全が確認できなければ再稼働は認めない」とも言っている。
具体的にどういう状態になることが「安全が確認できた」と言えるのか、いっさい言及がない。
「安全が確認」とか「信頼関係を破壊」などと言うのは、もともと言うべき中身がないことを告白しているにすぎない。

泉田氏は単に、柏崎刈羽原発原発の再稼働がイヤなだけなのだ。それをストレートに「ボクはイヤだ」と言えないから、もっともらしい言い方をして、メディアや人々を煙に巻いているにすぎない。

住民が権力者(それは企業や政府や役場など)のやることが気に食わない時に使う常套句、「納得いく説明がない」「信頼関係がない」と言うのと同じだろう。

7月3日朝日より「引用」
論理的に反論できないから、感情に訴える。もちろん専門知について情報の非対称性があり、情報を持っている側と対等に論争できないことは分かっている。であれば、なおのこと、こういうことがわからない、こういう点についてハッキリさせてくれという、疑問を素直に投げかければいいのだが、こういう人々はそうはしないのが常だ。

泉田氏はただ、再稼働がイヤなだけだから、感情に訴えて怒ってみせるしかないのだ。憶断を承知で言えば、京大→通産省のキャリアから知事に上り詰めた、地元出身の立身出世の人物として、「原発の再稼働を認めた知事」との“汚名”を被りたくなかっただけだろう。彼にとっては東電がつぶれるとか、電力不足になるとか、地球温暖化が進むとか、まったく関係ない。ただ自分がかわいいナルシストでしかない。

冒頭にも書いたが、誤解のないよう言っておくと、原発再稼働が正しいことかどうかは分からない。
知事ともなれば、反論するならもっと理論武装して具体的に反論すべきだということを言っているのだ。泉田氏は“秀才”だったのかもしれないが、天下国家を担う器ではなかったのだろう。恥ずかしい人だ。

○追記:
朝日が記事にしていた浪江町長の「反省ない」に至っては、お笑いとしかいいようがない。どうすることが「反省があり」、どうしないと「反省ない」というのだろうか。
信頼とか、理解とか、反省とか、一見もっともらしい抽象的表現で物事を切ろうとするのは、人を騙すことにほかならない。

それを補完するがのごとく、同日の朝日の社説は「とても理解は得られぬ」という見出しで、「泉田知事を孤立させてはならない」と結んでいる。どうしても原発をやめたい、地球温暖化も経済もまったく「そんなのカンケイない!」朝日新聞の意図が露骨な紙面作りだった。7月3日の朝刊は。

7月3日朝日より「引用」

2013年7月3日水曜日

「足首に少し痛み」・・・50代からの「裸足ラン」②


2013.6.9 南魚沼ハーフでのゴール 1時間47分台でした
誰と競争するのでもないが、ランニングをしている人にとっては、少しでも記録を伸ばしたい。つまりもう少し速く走りたいという思いを抱いているだとう。しかし50を越した者にとって速力を上げるのは容易ではない。だいたい走りの速度は自分のポテンシャルが固まっているように思える。距離を延ばすこと、つまり持続力を増すことは少しずつなら達成できるのだが・・・。

しかしベアフットランを試みて、速力を増すことにちょっとだけ希望の灯がみえたような気がする。
ベアフットで走るにはある程度速さがないと、走りに乗れない。自分の場合はトレッドミルで確かめるとだいたい11㎞/h 以上だ。12㎞/h だと結構走りに乗ることができる。これは、キロ5分ペースだ。単純計算すれば、サブ3.5だ。そんな計算どおり行く訳ないけど、サブ4も決して夢ではないというレベルのような気がする。

問題は「持続力」だ。このペースでベアフットで長い時間を走ることができれば、かなりイケるかもしれない。持続力をトレッドミルで徐々に身に付けていった。

週2回、3週間で2%の傾斜で35分~40分、なんとか持続してベアフットで走れるようになってきた。が、実際の走りではそこまでいかない。多摩川を走る時はだいたい10~15㎞だが、最初は怖くていつものペタペタ走りになっている。後半少し勇気をだしてベアフットを意識して腰を高くし走ってみる。どのくらい“耐えられる”か。今のところせいぜい20分~30分だ。それ以上やるとふくらはぎの付け根の筋肉に痛みが残りそうで、怖い。

2013年の東京マラソン 芝公園付近 見学していました
脇道に逸れるが、筋肉の超回復は48~72時間と言われているが、50代の老体では3日たっても完全には痛みが消えないことがしばしばだ。その時、トレーニングをやめるか、それとも走るかは判断に迷うところでもあるけど。私はなるべく走るようにしている。

ベアフットを始めて、トレッドミルから実際の走りにも応用するようになって、左足首に少し痛みが出始めた。しかし不思議なことに、走り始めは痛みがあるのだが、だましだましゆっくり走っていると次第に痛みを感じなくなって、いつも通り走れるようになる。だからそのまま走ってしまう。しかしそれでいいのかどうか、自分ではわからない。そこが素人には怖いところだ。

最近はふつうに歩いていても、ちょっとだけ痛みがある。触ると拇指球の少し下あたりだ。こういう時は、しばらく走らない方がいいのか、それとも少しずつ走った方がいいのか分からない。

「教えて金さん!」