2013年8月2日金曜日

TPPを巡る、本当の「論争」、こういう記事が唯一の救いだ。朝日新聞は。

ちょと前(7月13日朝刊)になるが、朝日新聞のオピニオン欄で「参院選」がテーマの時に、評論家の小谷野敦氏(この人を私は知らなかった)が、「今の、日本には政治にもメディアにもまともな議論がない」「とし、かつては文芸誌や総合誌の誌面上での論争が「華」であり、著名人が批判し、された側も反論したと、まともな論争が行われる風土や土壌があったことを指摘していた。
そして、「21世紀に入り、マスメディアが論争的な紙面に及び腰になり、、政治家の片言隻句を「失言」として批判することに熱中し、本当の論点から人々の目をそらさせ続けてきた。」ことに苦言を呈した。

世間の「大衆化」の流れの中で、メディアもその鏡として衆愚的記事を書くことが「使命」になってしまったのだろう。インテリ新聞アサヒも“大部分”がこうした紙面作りになってしまった。

麻生という衆愚の代表選手のような財務相・副総理は、憲法改正にからんで、ナチスドイツを引き合いに出し、「問題発言」としてメディアやだけでなくユダヤ人団体からまでも批判にさらされている。これはその通りに、まったく信じられない人物としか言いようがない。国家の要人だから「不適切」というだけでなく、人間としてバカ丸出し。知識も教養もまるで持ち合わせていないことがよくわかる。

しかし、小谷野氏が指摘するように、マスメディアはいつもいつも「片言隻句」を取り上げているから、麻生の発言の、ことの重大性が、大衆にはよく伝わっていない気がする。
「ああ、またいつものことか」というオオカミ少年的反応を世間はしているだろう。

と、最初から大きくタイトルからはずれたことを書いてしまった。

 書きたかったのはこういうことではない。日本も本格交渉に入った「TPP」を巡る論争だ。新聞記事やテレビニュースを見ていると、ほとんど推進派の経団連(輸出産業)と反対の農業関係者という、単純な構図しか見えてこない。そういう記事ばかりが「目立つ」ように構成されている。

それを見越して農業団体は「決起集会」を開いてそれが報道されることを狙っているのだろう。
そうした中で記者が紙上討論した記事は、最近のこの新聞では一面(といっても広告があるから2/3面だが)をつかってもあまりあるものだった。

どこにメリットがあり、何が問題かを討論の中で抽出していた。私には「原 真人」記者に分があると思うけど。

小谷野氏の指摘を待つまでもなく、まともな論争をきちんと載せることこそ、メディアの大きな役割でないかい。

一時掲載していた「耕論」をあまり見なくなったが、これはヘンにまとめすぎて、議論がかみ合わない時もあり、つまらなかったけど。

ちなみに、朝日新聞の署名記事で私が信用して読んでいるのは、経済担当の編集委員(だと思う)「原 真人」氏の記事だけだ。堕落した新聞「朝日」において、唯一まともな言説を展開している。
でもきっとこの人はアサヒの社内では「異端児」扱いなんだろうな。