2016年12月24日土曜日

原発避難者が各地で「いじめ」に遭う理由。メディアの劣化とも強い関係がある。

 東電福島第二原発の事故で避難している家族の子どもが、学校でいじめに遭っていたことが、あいついで各地で明らかになった。なぜ彼らはいじめに遭ったのか。「いじめ」が彼らになぜ向かったのか。まったくの推論でしかないけど、ちょっと考えてみたい。
  放射能を巡っては、大手メディアを含めて事故発生からかなりの期間、玉石混合の報道があいついだ。週刊誌だけでなく新聞も「正義漢」から大袈裟な報道がなされた。また、そうした報道から派生してネット上にはトンデモ情報があふれた。(らしい、あまりそういうのは見ないけど)
 『フクシマ論』の開沼博さんも、そうした状況を書いていた。
「大衆」的な人々にこうしたトンデモ情報がもたらす影響は大きい。申し訳ないけどメディアリテラシーのない人々だ。
 一連の原発報道では、いわゆるマスメディアと言われる媒体=テレビや大手新聞も、結構あやしい情報を流していたし、被害の状況や避難者の苦悩を誇大に伝えていた。それがマスコミ界の上常識だった。
 この文を書いている間に、内田樹さんの『街場のメディア論』を読んでいて、以下のような論考があった。――メディアがとりあえす立場の弱い側にたって「推定正義」として伝えるのはいいことだ。けれどもそそれが推定正義であることを忘れて、あとから検証しないことがメディアの劣化そのものだ――という趣旨だった。  
 不正確で不確かな情報がメディアによって流布され、それを前提とした会話が家庭内で交わされる。それを鵜呑みにした子どもが学校で、ばらまく。そして弱い者に向かい、中にはいじめのスケープゴードになっていく。けっこう容易に想像がつく構図だ。

 曰く、原発避難者は放射能に“汚染”されたキタナイ存在。放射能というバイキンが感染する。と子どもの中では単純化されて増幅される。しかも避難者という言葉の中にある“逃げてきた弱い人”というイメージが、子どもがスケープゴードにしやすい要素もある。加えて原発避難者の場合は、「賠償金」などのこともあり、カネがあるひとたちと誤解されていく。

 原発事故から1年後の5月、死んだ父親がかつて世話になった、富岡町に住んでいて郡山市で避難生活をしていた一家を、父親の死亡を伝えることも兼ねて訪ねた。この一家は、確か富岡町で電気工事などを請負う仕事をしていたと思う。主が死に、70代の婦人と40代の独身の息子、そして祖母の3人暮らしだった。郡山市の住宅は、認定避難所で、自ら見つけて借り上げて避難所としていた家だった。きれいな一軒家で駐車場にはベンツが置いてあった。だから住所を頼りに家を探した時、まさかこの家とは思わず、迷ってしまったことを覚えている。
 3人家族だから毎月30万の賠償金が入る。家は「避難所」だから家賃はいらない。40代の息子は当然働いていなかった。日課は足の少し悪い母親を郡山市内の病院に送迎することくらいだ。この状況だけ見ると、他の人からはいかにも“優雅”に見えてしまう。中には、お金が入るから働かない。賠償金でベンツを乗り回している。と見えなくもない。
しかし、話をしてみるとそんな表面上のことだけでは語れないことも見えてきた。一家は原発事故による避難で、いったん新潟まで行き、何か月か避難所で生活、そのままではどうにもならないので、自力で郡山市内に家を見つけて災害復興住宅として申請し、認められ移り住む。高級外車に乗ってはいるが、それは夜ノ森の田舎で40代の独身の息子のはかない贅沢にすぎない。細々と地元で商売をしていた息子にとってその経済圏を失ったからと言って、すぐに他の仕事ができるほどタフではなかったのだろう。そんな事情も伺い知れる。

 私の知っている具体的事例はこれを含めて2件だけだけど、避難者には避難者の事情がある。都会に避難してきた人々が、表面的なことだけで誤解を受け、差別的な視線にさらされる。
確かに、まだ40代の前半なんだからもっと積極的に生きてよ、と思うところはある。いつまでも被害者として賠償金の加護の中にいるのは生き方としてどうですかとも思う。けれど、それは非難できる類のものではない。
 
話を「いじめ」に戻すと、もともと「転校生」はいじめの対象になりやすい。学校という狭い集団では「侵入者」に見立てられるからだ。それが強い人ならば問題は起きないし受け入れられるけど、そうでない人の場合は攻撃される。よく報道されるニホンザルの集団を見ても明らかだ。
 
 学校(行政)はどうすべきだったのか。原発避難者の転校生は、ふつうの転校生以上に気を付けてケアしておくべきだったのだろう。まあこれは後付の理屈だ。問題になった後に気が付いたことにすぎない。
 いま公立学校の先生の質は落ちているのは確かだ。このこともメディアの劣化と相関関係があると内田樹さんは指摘してけど、様々なことに対処しなければならない教師たちが、その処理能力を超える事態の中にあるのではないかということも想像がつく。

 世間を煽ることでしかその存在価値を自らに見出せないメディア。
 もともと人の中にある、差別意識や、他人を羨む意識
 そうした影響を受けた子どもたちのふるまい

こうした要素がいわば相乗効果をもたらして、各地で原発避難者の子どもへのいじめは蔓延した。
 


 

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