2017年1月21日土曜日

ガラガラ族にちょっと一言 音に対する懸念

 一昔前、「ガラガラ族」などという言葉が流行った?。若い女性がキャスター付きの小型のカバンを引いてあるく姿だ。(「ガラガラ族」でgoogle検索したけど、それらしいものは出てこなかった。違う呼び名だったっけ!)

 最近は外国人観光客も増えたせいか、このカート式の大型カバンを引いてあるく姿がけっこう目につく。私の通う都心の公共スポーツ施設でも、大きな荷物をボストンバックでなくガラガラで引っ張っている人が目立つ。
 
 このスポーツ施設には、目の不自由な人もけっこういる。マッサージで勤務しているいつも見かける人、施設を利用する人など立場は様々だけど。

 JRの駅から、この施設に行くには信号を渡る必要がある。目の不自由な人にとって、おそらく一番緊張するところだろう。信号が変わったかどうかは分かりにくいからだ。音だけが頼りの瞬間かもしれない。
 ガラガラ族がカートを引く時の音は、結構でかい。点字ブロックがあるようなところでは、それが一層増幅される。街中の喧騒の中にあっても、その音さえもかき消すくらいだ。

 ここまで書けば、この文章の「結論」は書かなくても分かるだろう。そういうことだ。
ガラガラ族には、悪意もなにもない。自然体だ。しかし彼らの出す音は目の不自由な人にとっては、大きな「障害」になっている。

 いつも見かける施設のマッサージの人でさえ、慣れている道だろうが、ガラガラが横を通り抜けるとき、立ち止まり、戸惑いを見せていたのを見かけた。(気のせいで、杞憂であればいいけど)

 悪意なきことほど面倒なことはない。悪意あることであれば、止めろを言えるけど、そうでないことは、どうしていうのか。難しい問題ですね。
 
 

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