2018年5月12日土曜日

「強硬派」のパラドックス。トランプ流政治術は正しいか。みもふたもないはなし。

 日本の(リベラル寄りの)論壇では、よく「保守のパラドックス」が指摘されている。対ロ、対中、対韓外交などにおいて、リベラル勢力が譲歩ととられる交渉をすると、右翼からものすごい非難が浴びせられ、保守派の人々が攻める。しかし安倍などが同じことをしても保守派は「安倍さんが決断するんだから仕方ないね」という雰囲気になり、交渉が進む。(と、いうのが「保守のパラドックス」と一応簡単に理解しているけど、こういうことでいいんですよね?)

 同様のことが一連の対北朝鮮でもアメリカ外交で行われた。軍事行動の辞さないという厳しい態度で北朝鮮に臨んだトランプ政権は、(内実はどうであれ)ともかくも北朝鮮の核放棄に方向に進んだのは確かだ。(もちろん6月12日の米朝会談を見てから本当の進展はわからないけど。)

 こうなるとオバマやクリントンが行ってきた地道で粘り強い交渉とは何だったんだということになる。ムダな方法だったのではないかと。結局世界は軍事力=力を背景にしか動かないという論法になる。「保守・強硬派という道は正しい」みもふたもない話だ。

 おそらくトランプは中東問題もこの手法でいくのだろう。イスラエル軍事力を背景にパレスチナを抑え込むことが「正しい」と。でもそう上手くはいかないのは明らかだ。
パレスチナ問題は、単なる領土問題ではない。宗教や民族をベースとした人間の尊厳の問題だ。力で屈服させようとすればするほど反発を招く。トランプはそのへんの人間のココロが分からないだろう。
 
 イランの核合意の離脱を見て、トランプはなによりアフリカ系が嫌いな差別主義者だとういくことがよく分かった。とにかくオバマが行ったことは全部否定したい。トランプにとってアメリカ政治で「黒人」が大統領として行ったことはズべて否定したいのだろう。
その線上にイラン核合意があった。

 力だけが唯一の解決策。トランプはみもふたもないことを世界に示してしまった。それを乗り越えて理性に訴えるという人間的な営みを放棄してね。

3度目のギックリ腰 “老後”の身体の鍛え方

NETより「引用」
いわゆる『ギックリ腰』は、医学的に言うと「様々なケースがあり一概に言えない」(かつてかかった医師の言葉)らしいが、突然の激痛と1週間前後の痛みの持続、力が入れられない足腰が一般的な症状だ。
 
 これを3回も患うなんで、バカとしかいいようがないと言われてしまいそうだけど、実際なってしまった。

 1度目はランニングを初めてまもないころ。少し慣れてきて5キロ位は普通に走れるようになると体重が面白いように落ちる。まあそれだけ脂肪がついていたんだけどね。でもうまく脂肪だけ落ちればいいけど一緒に筋肉も落ちてしまうんだ。走って使う筋肉は落ちないけど使われていない筋肉は落ちる。そのひとつがインナーマッスルなんだろう。腰のスジの筋肉が何かの拍子で力がヘンに加わり断裂する。そして激痛。しばらく炎症を起こしているから痛みが引かない。笑っても咳をしても痛い。でも筋肉には回復力があるからそのうちなおる。

 2回目も3回目も、同じように体重を落とす過程でやってしまった。1回目の苦い経験から意識的に筋トレは行い、特に腰回りの筋肉についてはかなり意識して鍛えていたつもりだったけど、同じ過ちを犯してしまった。

 ひねりが悪いみたいだね。3回目の今回は腰のひねりの筋トレで、いつもの重さを12回2セット行ったあとに、調子がよかったので更にウエイトを重くしてやったらちょっと痛みが走った。でもそんなでもなかったので他の筋トレも少しやって、そのあとトレッドミルでいつものように5キロほど走った。翌日もいつもの水泳には行って2.7㎞泳いだ。しかし次の日がますかった。倉庫で重いタイヤを動かして腰を無理に使ってしまった。その夜から動けなくなった。風呂に入るのもやっと。トイレに座るのもやっと。寝返りが打てない。朝起き上がるのにすごく時間がかかった。

 医者にはかからなかった。悪いけど整形外科はあんまり信用していない。まあある意味で難しい診療科目なんだろうけど、町医者だとすぐ電気をかけるなどの施術をさせられる。医療点数稼ぎとしか思えない。専門のリハビリ師などを抱えているところは、そうしないと養っていけない構造がある。またお年寄りなどは医旅費をつかって、マッサージをしてもらているようなところも否めない。国民医療費の高騰が課題となる中で、結構大きな問題にも見える。

 と、脇道にそれたけど、医者にはかからず、自分なりに徐々に動かしながら治していった。まあよくなったと言えるまで2週間かかったけど。なんとか立ち直った。
 でも3週間目に八甲田山に山スキーに行って、2時間ほどシール走行で登ったら、また少し悪くなった。腰の筋肉全体が張った感じになり、翌日はちょっとやる気が出なかった。
ああ今年の山スキーは終わりだ。(トホホ)

 トシとって身体を鍛えることは、故障との闘いでもあるように思う。ベストの状態なんてない、常にどこかの筋肉が張っていたり、節々が痛かったりする。でもそれとうまく付き合いながら、(いま風の言い回しで言うと)パフォーマンスを上げていかないと、身体は鍛えられない。一筋縄ではいかないけど、それが老後の身体の鍛え方なんだろう。


2018年4月21日土曜日

路上喫煙対策も一緒に進めないと意味がない。東京都の受動喫煙防止条例について。

 国の受動喫煙防止対策「健康増進法改正案」は、骨抜き法案になり、事実上ほとんどの飲食店で喫煙が可能になった。「前に進めることが大事だ」などど屁にもならない言い訳で自民党の部会を経て法案が提出されている。ほとんど意味のない法案だ。
 
 そこに東京都は独自の条例制定を目指して、受動喫煙対策に乗り出した。飲食店の禁煙を面積を問わず禁止するという内容であり、そのことは一定の評価をしたい。
 
netより「引用」
 しかし飲食店の禁煙対策は、路上喫煙対策もいっしょに行わなければ意味がない。建物での禁煙が進むに比して、路上で喫煙する輩が目立つ。渋谷区には路上喫煙防止の条例があるが、まったく機能していないため、ほとんど野放しだ。渋谷区区役所は、ご丁寧にモヤイ像のところに喫煙所を設けたが、これが中途半端な施設で、近くを通ると煙がすごくてむせ返るほどだ。東急デパートの入り口がすぐ近くにあり、扉を開けは放っておくと、建物内部にも紫煙が入りこみ、大変だ。入り口脇近くの案内嬢はさぞかし苦しかろう。「煙が入りますので常はお閉めください」と張り紙がしてあるほどだ。

 人間なんて、皆 ご都合主義だ。喫煙者は煙が嫌いな人間のことなんか考えないし、受動喫煙被害なんと想像できないんだろう。ペット愛好家といっしょだ。何メートルも長いリードで(東京とは条例で確か4m以内と定められている)平気で犬を連れまわす輩、路上を自分たちの縄張りと言わんばかりに占拠して歩く輩たちは、ペットに対する感情を自分たちに都合のいいようにしか考えない。
netより「引用」

 話がそれたけど、路上喫煙対策は、重要だ。もはや条例の周知くらいでは意味がないレベルに来ている。渋谷区の場合、要は条例をきちんと適用・運用することだ。
 ポイ捨ては2万円の罰金としているのに、きちんと徴収しているのかいな。朝、出勤でセンター街を歩くと落ちている吸い殻は100や200ではない。徴収コストがたとえ9割かかったとしても、きちんと違反者から金をとり厳格に運用しなければ意味がない。

2018年4月14日土曜日

加計学園「首相案件」問題。キーマンはおそらく萩生田光一だ

 「加計学園の理事長は首相と一緒にゴルフをする中だそうです」⇒⇒「首相案件」と
関係者の中の伝言ゲームで自動翻訳された。
 
 官房副長官は、首相の一番の腹心を置く(らしい)。安倍が首相という立場で安易に動けない中で、安倍の「意をくんで」政治力を発揮する立場だということは容易に想像できる。
  安倍内閣の官房副長官を務める萩生田光一は、八王子市議~都議~代議士とステップを踏んで今日ある政治家だ。よく言えば苦労人の党人派、悪く言えばのし上がってきた策略家だ。同じ苦労人の菅と政治家としてのキャリは似ているが、菅とはタイプが違うだろう。Wikipediaによると、思想は安倍に非常に近いことがわかる。安倍首相の派閥で経歴の似ている菅に目をかけられ、思想の似ている安倍にかわいがられのし上がってきたことが容易にわかる。学歴も東大や京大出とは違う、亜流だ。これも安倍と似ている。
 
 落選中、加計学園の経営する大学の名誉客員教授を務めていたのは、おそらく安倍の斡旋だろう。公表されている経歴からは接点はそこしか見当たらない。教授に相応しい見識があるかどうかは知らないけど、浪人中の(政治)生活を支えていたのは加計学園だったことは確かだ。その肩書きも含めて。
 
 「忖度」という言葉が今回の件ではやったけれど、一番それにふさわしい動きをしたのは萩生田にほかならない。
 策士は自ら動かない。この官房副長官は、官僚の秘書官に愛媛県関係者や加計学園関係者と面会するよう指示した(だけ)なんだろう。
かくして「加計学園の理事長は首相とゴルフをする仲だ」→「首相案件」と関係者の間で自動翻訳されていった。
 官僚は頭がいいから、「首相案件」などという直截的な言い方はしない。しかし雑談の中で、「この前、首相と理事長はいっしょにゴルフをなさったそうです」などど「事実の表明」をする。すると誘致したい前のめりの愛媛県の担当者は、それを勝手に「首相案件だ」と自分たちに都合のいい方に受け取る。それがペーパーになり、関係省庁を陳情して回る時の「水戸黄門の印籠」と化した。

 どうでしょう。こんなに説得力ある想像・推察はあるでしょうか。

 この事案は請託があり、お金が動いたという訳ではない。その意味では事件化は難しい問題だが、物事はこうして決まっていった。そういうことだ。

 だから野党がどんなに攻めても、官僚を証人喚問しても、「事実」はなにも出てこない。だってみんな「忖度」して少しずつ「首相案件」になったのだから。

 それにしても、なぜかメディアは萩生田を追及しない。何かあるのか。官房副長官を攻めると官邸の情報がとれなくなるからなのか。一番の疑問はそこだ。
 

2018年3月31日土曜日

軽薄 安倍昭恵の罪。でも財務省文書改ざんより、文科省の方が「民主主義の危機」的問題だ。

netより「引用」
国家予算が(もちろん借金も含めて)100兆円に迫ろうとしている中、「8億円の値引き」は、財務官僚にとって、ちりにもならない額だったに違いない。それをオカシイと思わない“金銭感覚”は、問題だろうけど、おそらくそういうことだ。
 
「土地を処分するなら、首相夫人が関係しているらしい所に、“多少”値引きしても売り払ってしまえ」ば、お役所的には、『事案』が終了する。「いつまでも引きずっておくよりいい」と考えてもおかしくない。
netより「引用」
日々、事務仕事をしていると、次々と湧いてくる種々様々な「事案」を処理していくことが、ルーチンワークだ。また、そうして事案を終了させていかないと、身が持たない。少しでも事案の数を減らすことが、事務仕事の肝要だ。長く抱えれば抱えるほと、取り組むのがイヤになってくる気持ちは分かる。だから売り払うことを急いだ。

 
 そこに、非常に軽率で浅はかな総理夫人という存在が「偶然」あった。
 安倍昭恵氏は経歴から察すると、(あえてステロタイプに表現すると)、「東京の一流お嬢様学校で小中高と過ごした」けれど、お勉強があまり好きではないのか、その系列の大学には行かず「専門学校」に進学。森永創業家一族ということで、「電通」に就職、「経歴にハクをつけて花嫁修業」をして数年で退職して、政治家一家の「岸一族」の男性と結婚した。ということだろう。週刊誌によると「大麻解禁」に熱心だという、ちょっと変わり種。あまり思慮深い人には見えないね。
 
 森友学園の「名誉校長」になったいきさつからして、ハメられたというのが案外真実だ。おそらく彼女がいくつかの学校の名誉校長を務めていることを調べていた籠池氏が、
講演会に呼んで、うまく持っていった。籠池氏のやりくちは政治家を利用するという、非常に古典的方法で「成長」しようとしているのは誰が見てもわかる。それにハメられた。
 
 もちろん、そうした“同情すべき”事情があることと、彼女の「結果責任」の問題は切り離して考えることだけれと、政治のメインテーマではないだろう。 財務省の文書改ざん問題は、その派性的な問題だ。もちろん派生的問題だからと言って軽い問題ではない。「民主主義の危機」とまで表現するメディアが複数あったけど、そういう側面も確かにある。

 財務省の文書改ざん問題の陰にかくれて大きくは報道されないけど、文科省の前川元事務次官の講演(総合学習講師)への執拗な問い合わせ問題の方がよっぽど「大問題」ではないか。明らかに政治家、それも政権党の教育部会長の指示(圧力)で動いたことは明らかであり、当初、「新聞記事で知って」とウソをついていたことも分かっている。

 加計学園問題で前川氏が「圧力があった」と証言した時、菅官房長官は彼にしては激烈な反応をしたことからしても、こちらの問題の方が政権にとって実は大きな問題だったことが伺える。なにしろ安倍首相のお友達の学校だ。首相夫人の軽率な行動が引き起こした森友問題とはレベルが違う。

 こうしてみると財務省官僚と文科省官僚では、その力に差があることが見えてくる。ある意味で財務省官僚は強い。それは財政を握っているという力でもあろう。賢い為政者は、財務官僚にそっぽをむかれると何もできないことを知っている。予算を付けるにも国のバランスを崩さない範囲でやってもらう「さじ加減」は政治家には分からないからだ。
もちろん財務官僚も役人として生きるため、政治家におおいに忖度する。これ当たり前。(いい悪いは別にして)。

 一方、文科省官僚は、政治家に弱い。国の財布という政治家に対抗できるツールを持ち合わせせていない。官僚として生きるには、すべてにハイハイと聞くほかない。また、バカな政治家ほど「教育」に口を出したがる。

 前にも書いたけど、「教育」は、誰でも受けてきた、経験してきたことだから、自分の体験からいろいろ言いたいネタがある。思慮深くない人間ほど口出ししたがる。特に、いわゆる「右」の人はその傾向がある。安倍首相もかつてはそういう人だった。(今は封印しているんだろうけど)まあ、その意味では文科省官僚には同情するけど、政治家の圧力という意味ではこちらの方が「民主主義の危機」という言葉があてはまる。

 大手のメディアは森友問題ばかり煽って報道するけど、どうして文科省問題を軽視するのか。結局は、読まれるもの見られるものしか関心を示さない構造なんだろうね。マスコミ不信はますます募るけど。


2018年3月21日水曜日

那須雪崩死亡「事件」。こんな処分で子どもたちは報われるのか

去年3月、那須で登山講習中の県立大田原高校の生徒7人と教諭1人が雪崩に巻き込まれて亡くなった「事件」で、栃木県教育委員会は、生徒を引率していた教諭の処分を発表した。県高校体育連盟登山専門部の責任者、大田原高校の猪瀬修一教諭(51)と副委員長で犠牲者が出た班を引率した真岡高校の菅又久雄教諭(49)が停職5カ月。計画作りに携わった栃木高校の渡辺浩典教諭(55)が停職3カ月。などだ。処分理由は「講習会を安全に実施すべき立場にありながら、その責任を果たさなかった」とした。この3人は登山講習会の責任者で、当日は悪天候のため予定していた登山を中止し、3人で相談して登山から雪上訓練に切り替えた。そして経験の浅い教諭が引率するグループが雪崩に遭った。
 定職5か月という処分が、県教委として重いのか軽いのかは、門外漢が軽々に判断することはできない。が、それで子どもたちは報われるのか。
 講習会登山は、一般の登山とは違う。参加した高校生たちは、基本的に講習会の責任者の指示どおりに行動する。危険だと思っても、自分は行かない、止めるという判断ができないと考えるのが普通だ。また講習会に参加するというのは、危険への判断がまだできないというのが前提だろう。だから責任者の判断は重い。非常に重い。
 以前にも書いたけど、講習会登山の参加者はバスにのった乗客だ。バスの運転手には、乗客を安全を確保する格段の責任がある。仲間同士で車に乗っているのとはまったく違う次元の話だ。
 そうした責任感への欠如が招いた雪崩事故は、もはや事故ではなく「事件」だ。それが停職わずか5か月。私心を述べればなんと中途半端な処分だろうか。所詮、教育委員会という身内が下す処分だとしか思えない。いま教師が、たとえば飲酒運転で接触事故を起こせば、間違いないく懲戒免職かそれに近い処分になるだろう。たとえけが人が出ていなくても。そうした状況に比して、この処分はどうなのか。責任は軽いと言っているようにしか見えない。彼ら教師たちに「悪意」はなかっただろう。しかし登山経験者だからこその油断、講習会という場に臨む気構えが欠如していた。
 (この項続く。時間切れ)

Avema TVのバカ その2 若手棋士の魅力

 ネットのAvemaTVの将棋中継の「面白さ」について、以前書いた。「将棋観戦ファン」としてはこれほどのものはない。NHK-BSが将棋や碁の中継をやめてしまう中、このネット中継はおそらく確かなファンをつかんでいるだろう。(逆にNHKは将棋観戦ファンという衛星契約者を逃してしまった。)
 ナマを見逃しても「You Tube」で解説者の「初手から解説」を見られる。このおかげで仕事中の視聴を(少しは)ガマンできるようになった(笑)。

 AbemaTV将棋中継でもうひとつよかったのは、若手の棋士たちを多く知るようになったことだ。結構魅力的な若手がたくさんいる。女性棋士もナマの声が聞けて面白い。
 先日、藤井聡太と対戦してリベンジされた(失礼)三枚堂さん。母親も、かつてNHK杯の解説もやっていた女流棋士の藤森さん。ほかにもたくさんいる。藤井聡太の連勝を止めた佐々木勇気さんなど。もともと頭のいい人々だから、慣れると話上手になり、解説も雑談も面白い。彼らにもっと将棋の面白さを広めてほしいね。
 
 もう若手ではないのかもしれないけど、山崎8段が、雑談で結婚生活について来かれて、「これも一局」と言っていたのは笑ったね。この人はかつてNHKBSの将棋中継で、矢内女流を相手に、「この手が当たらなかったら矢内さんをあきらめます」と言って、楽しい中継にしてくれた人だ。たまたま見ていた。こういうウィットはTVには必要だ。

 木村一基9段だけではない、将棋界の面白い面々。これからもAvemaTVのファンであり続ける。でも仕事の邪魔だ!。AvemaTVのバカ。





2018年2月24日土曜日

立憲民主党の「原発ゼロ法案」、自民党「受動喫煙対策」どちらも「大衆迎合」政治にしか見えない。

理想は高ければ高いほどいいのだろか。それともただ、支持者へのアピールでしかないのか。
立憲民主党の「原発ゼロ法案」の内容には、がっかりだ。まあリベラル政党として、その支持者にむけて「アピールしました」というだけに見えてしまう。

印象としては、高い理想を「基本理念」として掲げる一方、法案としての体裁を整えるために、〇〇を推進、〇〇の措置を講ずる という表現で、いかにも政策推進を促す構成になっている。しかし内容としては、ひとことで言えば稚拙としかいいようがない。

基本理念で「電気の安定供給を計りつつ・・」「原子炉を効率的に全て廃止」、「電気の需要量を減少させるとともに」「再生可能エネルギーの電気割合を増加」と謳っている。

では、どうやって、「地球温暖化に配慮しつつ」電気の安定供給を計るのか。そのためのどうやって政策を推進すのか、さっぱり見えてこない。

 大きく言えば、地球上の様々な課題の中で、非原発だけを取り出して論じているとしか見えない。
政策とは、法律によって民間の動きを誘導してうくことであろう。その体裁をとっているが、とても実効性ある法律には、私には見えない。

原発を「効率的に」ゼロにするのは、ある意味では簡単だ。安い石炭、また石油や天然ガスの火力発電を自由に行えるような規制緩和を行えば、原発なんてなくても十分必要な電気は賄えるだろう。当面はね。化石燃料がダメだというなら、太陽光や風力発電を優遇する措置は補助金をたくさん出せば、それも進むかもしれない。日本じゅうの畑や水田をつぶして、また休耕田を政府が高く買い上げて、そこに太陽光パネルを敷き詰めれば電気はたくさんできるかもしれない。
同様の政策は現政府もさまざまやってきてはいる。ここでは詳細は書かなけけど、推進にはさまざまな課題も見えてきて、そうそう加速度的には進まないのも確かだ。
 
  高い理想は、それはそれでよい。しかし現状の冷静な理解や国民の“豊かさ“への渇望など様々な要素を斟酌した上での法律でなければ実現化への意味はないだろう。これでは、自分たちの支持者=リベラル派、非原発派へのアピールでしかないように思う。多くの国民への支持は広がらないだろう。だからメディアも、野党第一党の法案でもあまり多く取り上げない。なんとなくこの稚拙さを感じ取っているのだと思う。
  枝野さん、どうでうすか?

一方、自民党の部会が了承した「飲食店の受動喫煙対策」にも驚きだ。客室面積100㎡以下、資本金5,000万円以下の「中小企業」は「喫煙可」とするらしい。
100㎡の店といったら結構広い。と思いますけど。資本金5,000万円の飲食店といったら、それもまた、いち市民からみると結構おおきなカイシャに見えますけど。これでは、大資本が運営するチェーン店以外はほとんど「喫煙可」としているようにしか見えない。世界の動きへの逆行でしかないし、中小企業に配慮しすぎとしか見えない。これが「受動喫煙対策」なのだろうかね。「不満はあるが前に進めることが大事だ」という意見があり、とにかく部会が了承したという。へんなの。
 タバコの煙が大嫌いな私にとって、ほとんど無意味な法案だ。これもまたがっかりだ。
まあ、喫煙室のある飲食店にはいかないだけだけど。まして喫煙可の飲食店には絶対行かない。

喫煙者という「病気の人々」対策。もっと推進したら。それは医療費の抑制につながると思いますけど。喫煙は病気です。(かつて私も病気でしたが、この病気はなんとか40で克服しました)

「原発ゼロ法案」「受動喫煙対策」どちらも、支持者への「大衆迎合」政治にしか見えない。

(参考)
<立憲民主党 「原発ゼロ法案」>骨子(朝日新聞デジタルより“引用”)
第1 目的(略)
第2 基本理念
・電気の安定供給の確保を図りつつ、商用発電用原子炉を計画的かつ効率的に、全て廃止
・電気の需要量を減少させるとともに、電気の供給量に占める再生可能エネルギー電気の割合を増加
第3 国等の責務
・国は、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的な責任を踏まえ、原発に依存しない社会を実現するための改革を推進する責務を有する
・国は、改革に当たって生じ得る発電用原子炉設置者等の損失に適切に対処する責務を有する
第4 法制上の措置等
 政府は、基本方針に基づく施策を実施するため必要な法制上、財政上、税制上または金融上の措置その他の措置を講じなければならない。法制上の措置は、法律施行後2年以内を目途
第5 基本方針
(1)発電用原子炉の廃止
1.政府は、速やかに全ての商用発電用原子炉廃止を目標とする
2.政府は次に掲げる措置を講ずる
①発電用原子炉を運転することができる期間の延長を認めない
②商用発電用原子炉の運転は、原子力以外のエネルギー源を最大限に活用してもなお電気の安定供給の確保に支障が生ずる場合で、かつ有効に機能する地域防災計画が作成されている場合に限る
③商用発電用原子炉の設置の許可及び増設を伴う変更の許可を新たに与えない
④廃止するための国の関与の在り方について検討
使用済み燃料の再処理は行わない
再生可能エネルギー可燃性天然ガスその他の原子力以外のエネルギーの利用への転換を図るために必要な措置
⑦商用発電用原子炉等を廃止しようとする事業者に必要な支援
⑧立地地域における雇用機会の創出及び地域経済の健全な発展
廃炉等に関する研究開発その他の先端的な研究開発の推進支援
(2)電気の需要量の削減及び再生可能エネルギー電気の利用の拡大
①1年間における電気の需要量について、2030年までに10年の100分の30に相当する量以上を減少させる
②30年までに1年間における電気の供給量に占める再生エネルギー電気の割合を4割以上とする
第6 推進計画(略)
第7 本部
 内閣に首相を本部長とする「原子力発電に依存しない社会を実現するための改革推進本部(仮称)」を置く
第8 改革の推進を担う組織の在り方に関する検討(略)
第9 年次報告
 政府は毎年、改革の実施状況に関する報告書を国会に提出


2018年2月17日土曜日

英語版フリーペーパーまで出している八方尾根スキー場の生き残り策。蔵王は負けるね

 スキーヤーには知られた、Mt.6=蔵王、野沢、草津、八方尾根、妙高赤倉 の5か所が登録されている。(どういう訳は志賀高原は入っていない。独自路線を行っているのだろうか。)
 景気のよさを受けて、ここ数年は少しずつスキー人口も増え始めているらしいが、それでも、あのバブル時のことを思えば半分以下だろう。どこのスキー場も生き残りをかけて必死だ。
 で、田舎の蔵王と、子どもの合宿所があったことから八方尾根をホームグラウンドにしている身として、今シーズンの「観察結果」を少し記したい。

 蔵王は火山性の温泉、樹氷など魅力、八方は北アルプス(後立山連邦)を眺めながらのアルペンムードある所、ということだろうか。(八方の温泉は、深層熱水型で、地中深く掘ったら熱い湯が出てきたというものだ。(と思う)硫黄分たっぷりの蔵王の温泉とはちょっと違う。)

 先週八方に滑りに行って、英語の分厚いフリーペーパーが置いてあるのに気が付いた。ラーメン屋から、しゃれたバー、蕎麦屋までが、八方だけでなく栂池~五竜の一体のエリアが英語で宣伝されている。こういうのがあってこそ外国人も何度もやってくるのだろう。資本力がない小さな店が多いところでこういうものを発行できるのは、地域をあげて危機感があり、なんとかしようという機運があるからなのだろう。

 ただ、それだけのこと。かもしれないけど、地域をあげてリゾート地を守ろうという意気込みはなんとなく伝わってくる。オーストラリア資本の宿が増えたという事情もあるのかもしれないけどね。宿も、外国人の嗜好に合わせて「素泊まり」が可能な所も増えてきたように思う。また行こうという気にはなる。

 八方尾根スキー場は、もともと東急グループが経営していた。(という認識だけど間違っていたらだれか訂正して)。だからスキー場の中心・兎平のレストハウスは、「101」(トーキュー)と言った。それがおそらくバブルが弾けてから、八方尾根開発が運営している。これは(株)日本スキー場開発(ナスダック?に上場)という会社の子会社で、日本スキー場開発は、また(株)日本駐車場開発という東証1部上場の会社の子会社だ。東急ほど資本力はないだろうけど、なんとか頑張っている。
(余談だけど、ふもとの「おひょっくり」という居酒屋も八方尾根開発の経営。ここにも外国人客が多い。手頃な値段で夕食をとることができるお店)

 蔵王の残念な現状を、前に書いたけど、少しは他の頑張っているスキー場を視察して参考にしたらいいのに。
 蔵王は一体として頑張れない事情もある。(株)蔵王観光開発のロープウェイ、リフトと、樹氷原に行くロープウェイは東武鉄道グループ経営(ポスターにそうあった)。昔はや山形交通(ヤマコー)リフトというのもあったけど、今はヤマコー資本はないのかな。まあ、バラバラにやっていたのでは、八方や野沢に太刀打ちできないだろう。かわいそうだけど。



2018年2月10日土曜日

NHKの五輪報道には、辟易する。本当に。公共放送だけは品位を保ってほしいよね。

 韓国での冬季五輪が始まった。
テレビジョンも新聞も、当然のことながら五輪報道に厚みを増している。それはそれでよい。もともと五輪スポーツは“見世物”なのだから、それに乗ればいいけど。
公共報道の五輪報道を見ていてると、また始まったかと思ってしまう。

どの時間帯でもアナウンサーやキャスターと言われる人、また解説委員までもが、「メダルの期待がかかる」「活躍が期待される」という常套句のオンパレードだ。何の疑問も待たず、ノーテンキに口をつくアナウンサーを見ていると、テレビを消して、AvemaTVの将棋中継に行ってしまう。(実際我が家ではテレビとPCは反対方向にありPCを観ることはテレビに背を向けることになる)。

 これだけ国というものがボーダーレス化しているのに、いまだに国(国民)の競争ということを前提に報道するスポーツ報道は、化石に近い。

 個々人のスポーツ選手(最近はアスリートと言うらしいけど、すべてのスポーツ選手に当てはめるのは違うのでは?)が努力の結果、好成績を出す姿は美しい。それを観ることは有意義だし伝える意味あある。しかし五輪史上主義、メダル史上主義が報道にまで蔓延していることには相当な違和感を覚える。

 前にも書いたかもしれないけど、女子のソフトボールは五輪種目からはずれた途端、ほとんど報道されなくなった。まるで日本から消えたように。五輪以外でどんなにすばらいい試合をしてもそれはごく一部の人々しかしらない事実となる。(どうでもいいけど)。

 私自身はスポーツ観戦の趣味がないので、よく分からないけど、熱狂する人びはスポーツとして純粋に楽しみたいのか、それともひいきの人々のために熱狂したいのか、よくわからない。

 こんな中でスケートの小平や高木が「メダル」ということを一切口にせずにベストを尽くすことだけを言うのは非常に好感を持てた。こいう人々を応援したい。結果がなんであろうと。以上。

2018年2月3日土曜日

地球温暖化。「原発ゼロ法案」より「火力発電ゼロ法案」の方が先だ。

 化石燃料の消費をどう抑えるか。そのことを第一に考えるのが「安心社会」の構築の第一歩だ。 
 
火力発電所(東電広野火力)
先の総選挙で1,100万票を獲得したことを背景に、立憲民主党の鼻息が荒い。反安倍政権の“受け皿”として、一定の支持を得たことは確かだ。
 そのリベラルは姿勢から、また枝野氏自身が東日本大震災時に官房長官をやっていたこともあり、「脱原発」には熱心だ。長期的将来像として「脱原発」は賛成だ。少しでもリスクを低減させることは必要だ。しかしその前にまずやるべきことが多々あるだろうというのが率直な感想だ。
 
 野党は多かれ少なかれ「ポピュリズム」に陥らざるを得ない。人気がなければ選挙民の支持を拡大できないから。だから彼らのある種の極端な言説は大目に見る。そのことを差し置いても、でもやはり、「原発ゼロ法案」に固執することは支持できない。
電気スタンドの「その先」に想像力を働かせよ
放射能という目に見えないリスク、またどんな影響があるのかはっきり分からないことへの恐怖心。原子力というと、日本でまず思い出されるのが、当然ヒロシマ、ナガサキの悲惨な映像であり、実際、被曝者の方はまだ多くが存命で、その恐ろしさを語り継いでいる。だから大衆(=物事を深く考えずに、直感で判断する人々)が「原子力」に対して、得体のしれない恐怖心を抱くのは当然かもしれなし。
 
 交通事故で年間5,000人前後が死亡することや、自然災害で何十人も犠牲になることは、いわば目に見えることであり、直接カンケイない人々にとっては、1回見てしまえば心のどこかで、「なーんだそんなことか」と安心してしまうのは人間のいわば性(さが)だろう。

 化石燃料を燃やし続けることがどれほど怖いことなのか、特に石炭は地球環境への悪影響が大きい。それをまず止めることが、そのために自然エネルギーへの転換を促進するのは理にかなっている、と思う。

 寒波がきても暖房は着けないで我慢して。外灯はムダだから暗い道を歩くことに慣れてください。エスカレーターは動かさないので階段を歩いて。電気製品はなるべく使わないで生活して。ということを国民に呼びかけるのでしょうか。「原発ゼロ法案」を促進する人々は。まあそういうことの国民的合意(何割賛成すれば合意されるのか、その定義はないけど)があれば、それはそれで進めてください。

 しかし人間は一度手に入れた便利さをなかなか手放すことができない。それはそれ、脱原発は別問題です。と言うのは無責任な主張としか思えない。

 企業は省エネの技術革新の努力を続けてきたし、今後も続けていくだろう。そのことには敬意を表したい。しかし省エネにも限界がある。電気を使うものは使うのだ。そのことを抜きにエネルギー政策は進められない。他の項目でも書いたけど、電気自動車の普及には大量の電気が必要だ。その、当たり前のロジックを抜きにしてはエネルギー政策は語れない。

水素自動車の普及の可能性は?
冒頭に記したように化石燃料の消費を抑えることを第一に考えるのが「安心社会」の構築の第一歩だ。だから原子力を推進しろとは言わないし、そんなことを主張している訳ではない。冷静に見積もって、原子力をなくす道程は、それまでにするべきことが多くあり、息の長い取り組みが必要だということだ。

 

 リベラル派の「受け皿」になった立憲民主党だが、政権政党を目指すのなら、冷静な議論が必要ですよ。

(追伸)
「リベラル派の『受け皿』になった立憲民主党だが、政権政党を目指すのなら、冷静な議論が必要ですよ。」と、1週間前は結語としたけど、改めて考えた。
 政治・政党についてこう突き放しても、何の発展的発想にはならない。憂うべきは、野党が票を獲得するために、ポピュリズムにならざるを得ないこの大衆社会そのものだろう。彼らも実は分かっている。しかし票を獲得するにはこれしかないと開き直っているようにも思う。
 でも自民党に投票した人々の票を“奪う”には、もっとまっとうな議論で正面突破するしかない。原発に心底反対している人。消費税は上げない方が日本がよくなると心から思っている人。憲法は絶対変えない方がいいと考える人。それぞれのカテゴリーについて、メディアの政治報道はもう少し、整理して、その集団をあぶり出す努力をしてほしい。表面的な既存の政党や派閥の動きを伝えるだけが政治屋報道ではないでしょうに。それができるのがネットではなく、あえて言えばマスメディアができる調査報道そのものではないでしょうかね。





2018年1月27日土曜日

蔵王は“残念なスキー場”になり下がってしまった。残念!

「蔵王の樹氷」は知名度はあるのに生かせてない
(netより引用)
  正月を山形の蔵王温泉で過ごした。子どもの受験で2年のブランクをはさみ、3年ぶりだった。スキー人口が減って、どこのスキー場も大なり小なり青息吐息なのは、ご承知のとおりだけど、「Mt.6」の一角、樹氷を誇る蔵王は、他のスキー場に比して、「じり貧度」が更に増しているように感じた。
 
 八方やニセコ、志賀高原、野沢などは、豪州や東南アジア、韓国、中国からのスキー客を取り込む努力をして、なんとか持ちこたえている。八方尾根スキー場などは、レストハウスにいるとここは日本かと思うほど、中国語、オージーイングリッシュなどが聞こえてくる。
 
風情ある温泉街 私は行かないけど(netより引用)
  東北人の気質のせいなのか。(サービス精神があり、接客に向いているという人々ではない)それとも戦略不足なのか分からないけど。
 
 蔵王温泉の宿泊施設で一人勝ちしているのが「高見屋グループ」。純日本風の温泉宿から、かつて防衛省の保養施設だった豪華宿泊施設を買い取って運営している高級リゾートホテル風施設、団体向けの比較的安価な宿など数多くの宿を運営している。しかし高見屋以外は苦しいところが多いように見えた。特にスキー場の昔ながらの「ロッジ」はいつの間にか営業をやめて空き家になっているところが目立った。(上の台ゲレンで前など)。
 宿泊予約をネットで検索すると、正月3が日でも結構空きがあったのには驚いた。

スキー場は広くて自然を満喫できるのに
スキー場のレストハウスもじり貧だ。来客が減るとコスト削減でメニューを減らす。また従業員も減らすのでサービスも悪くなる。ありていに言えば、悪循環=負のスパイラルに入ってきたように見える。蔵王温泉観光のwebsiteでは、それぞれのレストハウスの“売り”のメニューを掲げているけど、実施には営業していないところもあったりした。(ダイヤモンドゲレンデ)

 実は蔵王には、かなり昔からジャンプ台がある(70m級=今の言い方だとノーマルヒルに当たるのかな)。女性のスキージャンプが近年脚光をあびて、蔵王でもワールドカップが開かれるようになった。スポーツニュースでも取り上げられ賑わっているように見えるが、ジャンプのワールドカップくらいではあまり客足に影響しない。第一、蔵王のジャンプ台には観客席なるものがなかった。(少なくとも筆者が山形に住んでいた1990年前後は)。また、ジャンプは見る人は(多少は)いても一般観光客でやる人はいない。ゲレンデスキー(アルペンスキー)が楽しめなければスキー場は賑わえない。

 バブル時代に新設された黒姫ゲレンデも黒姫第4リフトが「廃止」になっていた。かなり前から平日は駐車場は無料だ。90年代は土日に駐車場に入るのに2時間もかかったというのがウソのような変化だ。

 と、前置きが長くなったが、今回の蔵王で一番残念だったことを以下に記す。「ぷうたろう」というペンションは、かなり昔からある老舗の宿だ。宿泊したことはないが山形ではちょっとは有名な宿だ。場所も横倉ゲレンデのすぐ前にあり、立地もいい。(蔵王ではちょっと離れたところにペンション村がある)。

 スキー場のレストハウスが貧弱なので、ぷうたろうのランチでも食べようと入った。4人席に案内されたけど、実はこの時からちょっとヤナ予感がしていた。10人ほどの子ども連れの集団が2組あり、まだ食事が出されていなかったからだ。でもテキパキ働く(ように最初は見えた)女性がいたので、まあ食事も出てくるだろうと勝手に思ってしまった。ところがそうではなかった。
 
 30分待っても何も出てこない。40分すぎてようやく1品ずつ食べ物が出てきた。余りにも時間がかかりずぎる。ぷうたろうの食事は結構評判でそれなりにおいしい(らしい)。実際、スキー場のレストハウスで食べるよりははるかにいいけど、余りにも時間がかかることには怒りを覚えた。

 何がいけないか。
 店はなるべく売上を上げるべく(当然だろうけど)、お客を拒まない。しかし明らかに処理能力以上の注文を受けて、食事が供給できない事態になる。彼らには、「込み合っていますので、お時間がかかるかもしれませんが・・・」などと言う度量がない。明らかにスキーの格好をした客は、スキーをしに蔵王に来ている。それなりの食事もしたいけど、滑る時間もおしい。遠方から来る客はなおさらだ。

 何日も滞在する時間的、金銭的余裕がない人が多いだろう。我々もそうだ。限られた時間の中でいわば効率よく過ごしたい。でも「ぷうたろう」のスタッフにはそうした客への想像力がない。注文は受けるだけ受ける。残念は人々だ。こうした行為が、少なからず蔵王に足を向ける人を減らしていく。

 少なくともぷうたろうに、また蔵王に「また行きたい。また行こう!」という気にはならないだろう。他に選択肢がないならともかく、Mt.6 他にもスキー場はたくさんある。
単なるひとつのペンション食堂の振る舞い行為に過ぎないけど、それは蔵王温泉全体の印象につながっていく。蟻の一穴という言葉かあるけど、そういうことだ。ぷうたろう自体は、蔵王温泉で勝ち組なのかもしれない。しかし日本のスキー場全体の中で負け組になりつつある蔵王で、いくら勝ち組になったとしても、それはいわゆる「井の中の蛙」ということでしかないだろう。何年か先、この建物も、上の台ゲレンデ前のロッジのように空き家になってしまう姿を想像してしまった。悪いけど。
 
 かくして蔵王スキー場は、じり貧が続くだろう。このままでは。旅行業者は、常に客の反応をアンケートなどで収集し、評判のいいところに誘導する。スキー客の奪い合いの中ではそうしたマーケティングは当たりまえのことになっている。評判を落とすような行為はアンケートを通じて旅行業者に伝わり、新たな客には薦めなくなる。なぜなら旅行業者にとっても客にリピーターになってほしいから、評判のいい所から紹介していくのが当たり前の行為だ。

 「ぷうたろう」について言えば、1時間余り観察した限りでは、地元・山形の常連客が多いようだった。店の人の挨拶のしかたでわかる。またお酒の種類が豊富で昼間から飲む人向けの店だ。それでこれまでやってきたのだろう。我々のような一見さんはお呼びでなかったみたいだ。まあ今は常連で成り立つのならそうれでやっていけばいい。
 
 でもその常連客も人口減の中でやがて減っていく。店の人々は懸命に働いていた(と思う)。けど、それはその場しのぎ的でしかなかった。将来的に安定的にリピーターを増やしていく行為にはなっていなかった。「残念な店」だ。せっかくおいしい店なのに。


(追伸)
 テレビ東京の「街応援番組」で、先日、野沢温泉を取り上げていた。野沢も言わずと知れたMt.6の大スキー場だ。(30年以上も前の年末に、それも記録的雪不足の時に行っただけなので、実感としての記憶がないけど。)でも温泉街には外湯があり、蔵王と似た雰囲気だ。テレビ番組を見ていて、涙ぐましい努力がなんとなく伝わってきた。地道にしかし小さな積み重ねで、雪と温泉を楽しみにしている人々を内外から集めようとしている(ように見える)。テレビ番組の「切り取りの事実」であることを差し引いても、蔵王よりはマシだ。

 蔵王は地理的に不利だ。新幹線があるとは言え、長野県の野沢、八方、志賀高原の方が首都圏から行きやすいのは明らかだ。でもニセコのように飛行機を乗り継いで、しかも空港から更にバスで3時間かかるところでも人が集まることを考えると、努力不足が否めない。


2018年1月20日土曜日

ふざけんなJR東日本 列車を動かすことに固執し、乗客をないがしろにした

JR東日本・新潟支社 指令室
▽現場の列車運行係
「閉じ込められた乗客も疲労を増しています。まず乗客を降ろしてあげることを優先させましょう」
▽列車の運行責任者
「列車の運行はどうするんだ。信越線を利用している乗客はほかにもたくさんいる。朝の通勤・通学時までになんとかダイヤを正常化するのが第一だ」
「乗客は列車の中にいりゃ安全なんだ。トイレもあるんだろう」

 という会話が交わされたかどうかは知らないが、かくして、JRは、除雪車を動かすことに固執して、430人余りの乗客は15時間以上も満員の列車に閉じ込められた。中には立ったままの者も大勢いた。

 年明けの11日の夕方、新潟・三条市のJR信越線で、4両編成の普通電車が積雪のため動けなくなり、乗客約430人が車内にマル一昼夜閉じ込められた「事件」。余りにも官僚的なJRの対応にちて怒りが収まらない。

 昨日のニュースでJR東が三条市のバスの提供の申し出を断っていたことが報道されていたが、この事実に象徴されるように、JRが自分たちのメンツを最優先に行動していたことは、明らかだ。
 これまで報道されてきた経緯から、JR東は、乗客への配慮より列車を動かすことが最優先にされてきたことが分かっている。会見では除雪車の到着が翌日の午前10時前後になったことからも、それまで他の手段を考えることをしなかっことがうかがえる。
 100歩譲って、予想しえなかった積雪で列車が立ち往生したこと。通常の除雪でなんとかなると見通しが甘かったことが“許容”するとしても、その後の行動は、あまりにも官僚的、大組織的でしかなかった。
 
 おそらく列車の運行責任者=それがJRの現場のたたき上げなのか、キャリアなのかは知らないけれど=のアタマの中には列車の定時運行、今回の場合はとにかく立ち往生した列車を一刻も早く動かし信越線を正常ダイヤに戻すことしか考えていなかったのだろう。それが運行責任者にとって一番「正しい」職業的判断であり、そういう組織だからだ。運行責任者が想像したのは、乗客が救出されるシーンではなく、コトが終わった時に、上司に「列車の定時運行に向けて最大限努力しました」と報告する自分の姿だったのだろう。
 鉄道会社にとって定時運行は命より大切な掟だ。それはJR西日本・福知山線の大惨事でも明らかになっている。乗客の安全よりも定時運行が最優先される企業風土だからだ。
 除雪にあたった現場の鉄道員。除雪車を一刻も早く現場に向かわせようと努力した鉄道員。現場の人々は自分の業務として、おそらく懸命に努力しただろう。そこに悪意はなく、むしろ自らの努力を誇っているかもしれない。しかし今回の事件全体を俯瞰すると、その努力は「乗客のため」にはなっていなかったということだ。
 
 運行責任者には想像力がなかったのだろう。通勤・通学帰りの乗客が立ったまま列車に乗っていて、何時間も待ち続ける姿を。現場からの「暖房・トイレはあります。飲料水の適宜配給しています」という報告を受けて、乗客は安全に確保されている。ヘタに動かしてケガ人でも出れば、どんな批判をうけるかも分からない。そのままにしておいてよい、と。

 日本の(大)組織、特にお役所にはひとつの掟がある。それは「決められたことを守る」ことが正しい職業的判断だという。JRは言わずとしれは元国鉄。中央省庁と同様にキャリアとノンキャリがいる「官僚組織」だ。アタマのいい社員たちは常に上司がどう反応するかを念頭に行動する。そういうところだ。
 
 良く言えば、上意下達の規律が整った、統率された組織だということなのだろうが、柔軟な対応はいたって苦手だ。それは組織人として規律を破ることであり、職務に忠実は行動にはならないからだ。どうしてそういう組織になったのか、国鉄時代の組織を見ればわかるだろう。戦後、就職難の時代大量に採用した現場労働者。強い組合。鉄道を動かすには、「規則」を大量に作り、労働者を規則通りに動かす・働いてもらうほかなかったからであろう。
 (この話を書きだすと長くなるので、やめる)

 それにしても、今回の事件で乗客の皆さんの反応が、なんて優しかったことか。出てくる話は「席を譲りあった」などの美談が多く、あからさまに怒りをぶつける人の報道は見当たらなかった。これを新潟人の美徳と見るか、お人よしととるかは別として、もう少し「怒った」方がよかったんじゃないの。でないとJR東の人間は、きっとこう思うだろう。
「ほら。乗客は従順だ。列車内で待ってもらって安全でよかった。マスコミの批判は過剰だ。」だって「ぜんぶ雪のせいだ」だもん。と。