2018年2月3日土曜日

地球温暖化。「原発ゼロ法案」より「火力発電ゼロ法案」の方が先だ。

 化石燃料の消費をどう抑えるか。そのことを第一に考えるのが「安心社会」の構築の第一歩だ。 
 
火力発電所(東電広野火力)
先の総選挙で1,100万票を獲得したことを背景に、立憲民主党の鼻息が荒い。反安倍政権の“受け皿”として、一定の支持を得たことは確かだ。
 そのリベラルは姿勢から、また枝野氏自身が東日本大震災時に官房長官をやっていたこともあり、「脱原発」には熱心だ。長期的将来像として「脱原発」は賛成だ。少しでもリスクを低減させることは必要だ。しかしその前にまずやるべきことが多々あるだろうというのが率直な感想だ。
 
 野党は多かれ少なかれ「ポピュリズム」に陥らざるを得ない。人気がなければ選挙民の支持を拡大できないから。だから彼らのある種の極端な言説は大目に見る。そのことを差し置いても、でもやはり、「原発ゼロ法案」に固執することは支持できない。
電気スタンドの「その先」に想像力を働かせよ
放射能という目に見えないリスク、またどんな影響があるのかはっきり分からないことへの恐怖心。原子力というと、日本でまず思い出されるのが、当然ヒロシマ、ナガサキの悲惨な映像であり、実際、被曝者の方はまだ多くが存命で、その恐ろしさを語り継いでいる。だから大衆(=物事を深く考えずに、直感で判断する人々)が「原子力」に対して、得体のしれない恐怖心を抱くのは当然かもしれなし。
 
 交通事故で年間5,000人前後が死亡することや、自然災害で何十人も犠牲になることは、いわば目に見えることであり、直接カンケイない人々にとっては、1回見てしまえば心のどこかで、「なーんだそんなことか」と安心してしまうのは人間のいわば性(さが)だろう。

 化石燃料を燃やし続けることがどれほど怖いことなのか、特に石炭は地球環境への悪影響が大きい。それをまず止めることが、そのために自然エネルギーへの転換を促進するのは理にかなっている、と思う。

 寒波がきても暖房は着けないで我慢して。外灯はムダだから暗い道を歩くことに慣れてください。エスカレーターは動かさないので階段を歩いて。電気製品はなるべく使わないで生活して。ということを国民に呼びかけるのでしょうか。「原発ゼロ法案」を促進する人々は。まあそういうことの国民的合意(何割賛成すれば合意されるのか、その定義はないけど)があれば、それはそれで進めてください。

 しかし人間は一度手に入れた便利さをなかなか手放すことができない。それはそれ、脱原発は別問題です。と言うのは無責任な主張としか思えない。

 企業は省エネの技術革新の努力を続けてきたし、今後も続けていくだろう。そのことには敬意を表したい。しかし省エネにも限界がある。電気を使うものは使うのだ。そのことを抜きにエネルギー政策は進められない。他の項目でも書いたけど、電気自動車の普及には大量の電気が必要だ。その、当たり前のロジックを抜きにしてはエネルギー政策は語れない。

水素自動車の普及の可能性は?
冒頭に記したように化石燃料の消費を抑えることを第一に考えるのが「安心社会」の構築の第一歩だ。だから原子力を推進しろとは言わないし、そんなことを主張している訳ではない。冷静に見積もって、原子力をなくす道程は、それまでにするべきことが多くあり、息の長い取り組みが必要だということだ。

 

 リベラル派の「受け皿」になった立憲民主党だが、政権政党を目指すのなら、冷静な議論が必要ですよ。

(追伸)
「リベラル派の『受け皿』になった立憲民主党だが、政権政党を目指すのなら、冷静な議論が必要ですよ。」と、1週間前は結語としたけど、改めて考えた。
 政治・政党についてこう突き放しても、何の発展的発想にはならない。憂うべきは、野党が票を獲得するために、ポピュリズムにならざるを得ないこの大衆社会そのものだろう。彼らも実は分かっている。しかし票を獲得するにはこれしかないと開き直っているようにも思う。
 でも自民党に投票した人々の票を“奪う”には、もっとまっとうな議論で正面突破するしかない。原発に心底反対している人。消費税は上げない方が日本がよくなると心から思っている人。憲法は絶対変えない方がいいと考える人。それぞれのカテゴリーについて、メディアの政治報道はもう少し、整理して、その集団をあぶり出す努力をしてほしい。表面的な既存の政党や派閥の動きを伝えるだけが政治屋報道ではないでしょうに。それができるのがネットではなく、あえて言えばマスメディアができる調査報道そのものではないでしょうかね。





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